◆◆◆ 1184 ★ 片岡球子の番組 ◆◆◆
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2008.7.25.更新 |
二週連続で、球子先生の番組。 彼女は、男性しか描かなかった。 なるほどぉ。 ある意味潔いね。 アタシも、ほとんどは女性だけどね。 男性も何人か描いたことがある。 それは、物凄く強い映像が脳裏に焼きついていて、ぼんやりしていると、出来上がっていたというのに近い。 一枚は、ワタリさんというミュージシャンが事故で他界されたときいたときに描いた作品。 力強い歌声で、いつも、ギターを持ち歩いている方だった。 |
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もう一枚は、横浜トリエンナーレで、黒田さんに、似顔絵を描いてもらったときのスケッチを元に作った作品。 (このあと、口ひげを加筆しています) 楽しかった日のことを思い出す。 あのイベントも、現代アートであることには違いない。 もうそろそろ、トリエンナーレの時期じゃないかなあ。 また皆でいきたいものである。 |
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島田さんの肖像。 今は、髪型が変わってしまい、ビミョーにグレーに。 収集家のお友達も沢山いるけど、彼のような人生も珍しい。 ぼんやりしているとできてしまっていたのだから仕方が無い。 どの絵も、それなりに似ていたと思う。 気持ち的には、影付けというのをいつかしてみたい。 アタシの絵ときたら、陰影がないもんで、本当に、ドローイングに色を足したような絵だからである。 別に、悩みがあるわけではないのだが、影をつけたら、どうなるのかというのを試してみたい気持ちもある。 遠目、もっと、人間的になるのか、失敗するのかをである。 |
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フリーダ(女性)の肖像。 キリストのようになってしまい、 いっそ、キリストの絵に変えてしまおうかと思うぐらいの変化である。 女性なのに、彼女は、何故、口ひげを生やしたままにし、生きたのかというのを知りたい。 それでも、女性に見えるのだけれども、壮絶な彼女の人生のことや、痛々しい絵を思い出すと、こちらまで辛い気持ちになってしまうのである。 やはり、この絵は、何か別な絵にしなければならない。 絵というのは、イロイロなことが思い出されてしまう、心の引き出しのようなものだ。 心の引き出しから、人の人生の辛かった話を思い出したくも無い。 自分の人生の辛かった時代というのを思い出すのは仕方が無いとしても。 |
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