◆◆◆ 1179 ★ 画廊での話 ◆◆◆

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2008.7.23.更新

Kさんという、ご高齢の作家さんが、よく、作品を出して下さる。

ありがとうございます。

彼女は、ここ1-2年で、どんどんと力を上げてきていて、その事は、大変喜ばしい。

アタシが、大作の写真を撮影し、少し補正してあげたら、実力以上に昇華されたため、彼女は、古い、出来の悪い作品も、大量に持ってきて、写真を撮影して欲しいなどという申し出をしてきた。

うーむ。

嫌まあ、それが、売れる筋なら、アタシも構わないのだが、旧作は、本当にヘタクソなんだよね。

頑張った作品なら、アタシも応援したいけどさ。

という話を、本人にするかどうか、少しの間、考えなければならなかった。

でも、話すことにした。

無料で撮影してあげて、プリントが上手くできるように、色調の補正までしてあげてるのに、それが、当たり前だと思われると困るからである。

この先も、大量にある自分の作品を、どんどん持ってきたりされると、忙しいアタシは、益々自分の絵を描く時間がなくなってしまう。

カラーインクによるドローイング

もう少し、ピカソが似てくると思うんだけどな。

他の人物は、アタシの人物になっていると思う。

みんな、自分の絵の事に一生懸命なのだ。

だけど、ヨイ絵と、悪い絵のことは、自分で理解できるようにならないと、作家として、作品を売ることなど一生ムリ。

人間関係が悪くなる可能性もあるけれども、それは、仕方が無い話である。

アタシは、彼女に切り出した。

「この前持って来てくれた風景は、新しいのに比べると、絵が物凄く落ちるから、写真にプリントして販売しようとしても、ムリと思う。良い絵と悪い絵が並ぶと、両方売れなくなっちゃうし、今は、もっと上手く描けるのだから、この絵に5-6回加筆して、ヨイ絵になったら、また持ってきて」

彼女も、それを言われたときには、きっと、頭に来たに違いないが、自分でも、旧作は、下手だというのは、客観的には理解していたみたい。

アタシは、彼女に片岡球子の図録を見せる。

彼女は102歳まで絵を描いたんだから、まだ大丈夫。みたいな話になる。

個展が始まって、彼女はまた顔を出した。

そういう意味では、ある種の執着があるのだと思う。

何が何だか解らないけれども、絵に対する何らかの執着がある。

だから、その、何モノかが、嫌なことを言われたのに、ギャラリーに足を運ばせるのである。

アタシは、三岸節子の花の図録を彼女に見せる。

そうして、ページを開いて、この絵はね、●●●万円なんだよ。と、値段の説明も。

Kさんは、具象という言葉も知らなかった。

毎週、日曜美術館を見ているのに、基本的な、絵の用語も知らないのである。

何を意味しているのかといえば、映像の情報のストックは大量にあるのに、それを補う絵画についての基本的な情報が不足しているということになる。

私だって、日本に帰国するまでは、具象というのがどういう絵だか知らなかったし(ビミョーに、アタシの絵は、すでに具象だったけど)

現代アートの話だって、理解できたのはごく最近の話である。

であるからして、彼女にも、「具象」という言葉をやっと、知るべき日が来たことを嬉しく思う。

K「自分でも、どうしたいのか解らないけれども、絵は描きたい」

と、ボソリと語る。

そうして、三岸の絵は、日曜美術館で見たことがあるとも、彼女の絵は、花の絵に見えるとも感想を述べてくれた。

オジャラ「まだ描けるよ。Kさんの内面にある、激しいものが、カンバスで表現できるようになってくると、(生きるのが)楽になるからね。まだ、そういう絵の技術について、教えてくれる人がいなかっただけでね、これだけ、絵(を販売すること)に執着があるのであれば、必ず、そういった話は、身についてくるからね。でもね、今の絵のままではダメなんだよね」

足立区美術協会の、洋画の審査員の先生のほとんどは、具象だからね。写真を見ながら描いてもヘタさが残ってしまう絵は賞などもらえない。

そのあと、オーストラリアの婆さんエミールの話になり、Kさんは、「あんな絵がねえ」

などと驚きながらも、自分の絵に対する心の動きが目覚めてきたという感じだった。

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