◆◆◆ 1177 ★ 夏の個展がはじまりました -2 ◆◆◆

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2008.7.20.更新

このあと、杉並方面の収集家の方は、銅版画の作品集なども見てくださる。

オジャラ「この頃のは稚拙で、しかも、作りっぱなしでね」

杉並方面「いやあ、このタイトルがね。(例えば、ワゴムとクリップのミイラというような感じ、)

何で腐食したのかをタイトルにしているでしょう。このタイトルだと、せっかく、この作品は何で作ったんだろうと、作品の中に引き込まれてた瞬間、材料(ネタ)がバレてしまって、見る者をつまらなくさせてしまうんだよね。」

オジャラ「おおっ。なるほど、そういう考え方もあるんですね。アタシは、何を貼り付けて腐食したのか、自分が忘れないように、こういう名前にしただけなんですけどね」

というように、ちゃんと作品を見てくださる方が来ると、こちらも気合が入るのである。

この作品も、個人的には、デキがヨカッタと思う。

アタシが作った作品だというのが解らないというのが辛い。

創作者というのは、「素人目にパっと見ただけで、ああ、この人の作品」

みたいな創作物に安堵するという傾向がある。

こういう作品を作ると、「画風を替えられたんですか?」などと質問をされたりもする。

表現の方法というのは多様なので、自分らしい表現の追及というのの他に、未知の表現というこにも挑戦をし続ける。

それが、私の仕事なのである。

この版画も可愛かったよなあ。

版画にどんなに慣れているひとだって、この版画がどうやって作られたのかを考えてしまう。

そういうマチエールを持っている。(版画展には落選)

もう二度と印刷したくないけどなあ。

(売れたら刷るけどさあ)

版画集は、2004年のまま。

新作は整理もされずにいる。

なんとか、昔刷った作品を探し出して、整理しないとなあ。

そうして、個展には、たいした人は来ないけど、その間ずっと絵が描けて、作品を袋詰めしたり、展示をしたりできるので、それはそれで大切だと思ったりもする。

アタシは多作なので、半年間に描いた作品に、エディションをつけたり、仕事ごとに作品をファイルしたりという作業も、沢山あるからだ。

陶芸作品をどうするかなあ。

HPの記録だけが頼りということになりそうだから、ちゃんと更新しよう。

杉並方面のお客様は、随分と長いこと、私の作品を見て下さった。

杉並方面「最近は、投機目的の作品が多くて、市場(作品のクオリティ)が荒れてますね」

オジャラ「そうですね。いい作品もあるんですけどね、ショボイ作品も同じ評価になってしまっていて、それが、見ていて辛いですね」

杉並方面「今、アートマーケットは、バブル状態ですからね。ホンモノの創作品であれば、買いたいですけどね」

そういい残し、帰ってゆきました。

見てくださって有難うございました。

もともと、価値などない、虚構なのだと思うと、アートの世界というのは、全く、ついていない。

先日も、「アート業は、ダイレクトマーケティング業である。スカを掴まされない為のアートの常識と裏側を語る。」というテーマで、プレゼンテーションをしたばかりである。

電通系社長殿の質問

「その、価値が無い作品に、どう付加価値をつけてゆくかだよね。」

オジャラ「そうっすね。所詮、虚構です。」

創作活動は、虚構なのか、それとも、芸術活動なのか?

商品となるのか、それとも、作品として生きるのか。

そんなにカンタンに、答えなど出せる課題でもない。

一つだけいえることは、コハシさんの作品を見て、そうして、アタシは、新作を作り、その作品は、間違いなく、現代アートに昇華されたのだという結果だけである。

それは、現代アートの真意を知るものだけが理解できる世界であり、理解者ですら、まだ日本にはそんなに多くないと感じることは多い。

コハシさんの作品、一枚欲しいよなあ。

おじゃら画廊

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