◆◆◆ 1120 ★ 山下清さんの番組 ◆◆◆

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2008.3.29.更新

ヤマシタキヨシの切り絵とは随分違うけどなあ。

まあ、仕方が無い。

同じ作品を作っても仕方が無いし、

どちらかといえば、大竹伸朗寄り。

新しい作家により影響を受けるのは、

当然といえば当然だ。

良い番組だった。

生前の彼の映像や写真もイッパイ紹介されていた。

養護施設を飛び出してルンペン生活。

彼の日記の中で、

『(施設で)油絵を描いたり、貼り絵をしたりするのも、るんぺんとして放浪するのもどちらも楽しい。』と書いていた。

そうして、どちらも選べないので、決意をして、ルンペンの放浪に入ったのだという。

ときどき施設に帰ってきては、作品を作り、また放浪。

なんか、ウチの猫みたいだよ。(家出から2ヶ月程たつが、まだ帰ってきていない。)

施設の中だけで創作し続けるというのは、きっと難しいと思う。

アタシも、熱にうなされたように、展覧会を見に行っていた時期があった。

今だって、チケットさえあれば、きっとまた見に行きたいと思っている。

彼だって同じような気持ちなのだ。

新しい景色に出会いたい。

そういう新しい創作のエネルギーを充当しに、旅に出たのだと思う。

写真をみたまま描くというのと違い、その風景の中で好きな部分だけを脳裏に記憶し、後日、一枚の紙の上に、その好きなモチーフをまとめあげるという作業である。

アタシは、彼の作品の中には、グランマモーゼスの作品を思い浮かべた。

どちらも、稚拙に見える平面の中に、イロイロなモチーフが広がった作風である。

現実から離れるという事もなく、写実というわけでもない。共通するのは、素朴でのびやかな風景と人物ということになる。

当時の風景というのは、元には戻らない。

古きよき、日本の風景や風俗を捉えたその作品には、心が癒される。

この前、上野の森にきていた、山下清展、見なかったのが悔やまれる。800円をケチったのだよ。

はぁ。

またいつか、見る日が来るだろうと思う。

あんなに売れた作家の作品こそ、見るべきなのだ。

何故売れたのか、どうやって、こんなに有名になったのかをである。

番組そのものも、彼の日記、日記の記述から訪ねた地名や、滞在した場所などを調べ、当時の山下さんのお世話をした人などの生き証人に語らせるという番組作り。

その作家がテレビ番組などになるのには、本人の記録が膨大に残っているというのは、最低条件である。

もしくは、その友人などが残した日記などに書かれた、当時の様子なども、重要な資料になる。この前、ロートレックの番組なんかも、知人により書かれたロートレックの話という切り口だった。

いくら作品が優れていても、それを盛り上げる文字としての資料が不可欠ということになる。

逆に、絵がたいしたことなくても、そういう記述があることにより、作家が世に出るという例も、アタシはいくつか見ている。

ふーん。と絵を見ながら、まあ、人生的には波乱万丈で、番組としてはまとまっているよなと思ったり。

同じような作風でも、番組にはならなかった、残りの99.99%の人のことを思えば、彼は、その番組をきっかに、作品が話題になって、地元の美術館が買い上げたりするかもなと思ったりもする。

山下清が長岡の花火を訪ねたときに、花火師は、彼のことを覚えていたのだそうだ。

後日、雑誌などで、花火の切り絵を見て、借金をしてその絵を買い入れたのだという。

当時はまだ、そんなに高くなかったと思うけど、安くもなかったのだ。

購入の理由は、「この花火は、僕が作った花火だからだ。梅原龍三郎でも、横山大観でも、花火の絵を描いた人はいなかった」と話されていたのが印象的だった。

その後、購入価格の20倍でその絵を買いたいという人が出て、花火のオッサンも売る気になっていたみたいだが、奥さんが反対して、その絵は、花火師の手元に残されていた。

飾っていなかったのか、良いコンディションの美しい作品だった。

今なら、200倍とか、2000倍出しても買う人がいるかもなあ。

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