◆◆◆ 1078 ★ パティシエ 辻口さんの話 ◆◆◆
2008.1.29. |
テレビ番組で、辻口さんというパティシエさんがゲストとなり、国立博物館が所蔵する、 長谷川等伯の描いた、国宝「松林図屏風」への思いについて、思いきり語っていた。 たしか、一昨年の正月あたりに、アタシも拝んだことのある作品である。 有名。 いやまあ、まだ、あの筋のよさは解らない部分もある。 それは、こちらが、芸術を理解する力が十分でないということに他ならず、きっといいところがあるに違いない。 作品鑑賞のポイントは、作品を否定しないことである。彼の作品が、何故、優れていると評されるのか。実際見たところ、自分的にはよく解らないという、この温度差。この温度差を研究することで、その作品がホントウに優れているのに、自分には、まだそれをヨシとする目がないのか、実は、学芸員が(作品の付加価値を高めるため)優れた作品だと言い張っているのかが、いつかわかる日が来るのである。 確かに、辻口さんは、『あの余白と、墨の濃淡の連続に感動する』 などと話されていた。 余白ですよね。 書道でも、余白の話が出た。 作品というのは、被写体と余白と、そのバランスによって構成される。 |
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辻口さんは、世界の頂点といわれるお菓子のコンテストで4度も優勝したらしい。 これからも優勝する可能性がある。 彼の意思は、 『和(の素材で作った菓子)をもって、世界を征する』 ということであり、潔く、これぞ大和魂であると感じた。 等伯の「松林図屏風」を超える菓子を作りたいとも話されていた。 辻口「『いやあ、あいつ、またそんなこと言ってるよ』と思われるかもしれないけど、そういう気迫をもって、命を賭けて(よりよい作品を作るんだという気概を持ち)菓子作りをしている。味の記憶というのは、なかなか消せないものであり、いつまでも忘れない味だと、記憶に残る菓子を沢山作りたい」と話された。 菓子というのには、造形美や機能美、その上に、味まで存在し、終には体内で消化までされてしまうのだ。 アタシも、今のバイトが決まる前に、和菓子屋でバイトしようと思ったことがあった。 それは、和菓子というのは、ある種の造形の集大成であり、日本の美意識そのものだからである。 |
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結局和菓子店に面接に行く前に、もっと割りがよくて、アタシの力を発揮できる先に決まったのでヨカッタなと思う。 センセイは、また新しい本を執筆されていて、教材の開発もほぼ終了。 今回からは、アタシが本の装丁、カットなどを担当することになった。 まあ、そういう目的でお手伝いに行っていたわけではないのだが、そういうこともできるという理由から、頼まれることになったということになる。 装丁デザインと一言で言うけれども、誰にでも仕事が回ってくるワケではない。 それでも、和菓子というのは、いつか作ってみたいなと思う。 お仕事というのはご縁のものであり、カンタンに断ち切るわけにもゆかない。 まあ、月に3回しかないというのも珍しいが、その三回で、ギンザ巡りもし、グルメランチも食べ、画廊を渡り歩いて、金ももらっていることを勘案すれば、かけがいのない時間なのである。 |
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辻口さんの話に戻れば、彼は、コンテストの作品作りの日は、朝から誰とも話さず、フードをかぶり、気持ちを高めてゆく。 そうして、5時間集中し、誰も作れない作品を完成させるのだという。 まるでスポーツ選手のようだよね。 一流の人の話というのは、それが、スポーツであっても、菓子であっても、工芸品であっても面白い。 熱意や、そこに向かった努力、苦労話、人とは違う何かを作り出そうという意欲。 そういったパワーを頂ける。 http://www.kagaya.co.jp/le_musee_de_h/index.html 松の図などよりも、私には、辻口さんの話の方がよっぽど私の心を揺さぶった。 18歳のときに上京し、菓子職人に弟子入り。住み込みの初任給は4万5千円。 29歳で賞を取るまで、彼は、学校のマークのついたジャージを寝巻きに着ていたのだと話された。(貧乏と、店を出すための貯蓄で、寝巻きを買えなかったということのよう) 賞を取り、翌年念願の店を持たれた。 関東にも自由が丘や奥澤に、彼のケーキを食べられるお店があるのだそうだ。 彼のケーキをいつか食べる日が来ると思う。 |
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