◆◆◆ 1076 ★ 書道作品の搬入  ◆◆◆

 

2008.1.27.

いよいよ、書道作品の搬入日となる。

朝10時ごろ、安東センセイから電話がかかってきて、指定時間に作品を持ち込む。

安東センセイと、もう1人、きっと区の書道会のエライ人なのだとおもうが、彼に作品を見ていただく。

一番はじめに描いた、ボテボテと文字が広がった作品が

『これが一番書道らしい』という理由で採用になった。

アタシ的には、後に描いたほうがヨカッタかなとも思うが、作品を見慣れている人には、彼らなりの採用基準というのがあるのだと思う。

書く側としては、何故この書をセンセイ方がヨシとしたのかという理由を知らなければならない。

その理由がわからなければ、進むべき道を誤ってしまう。

左が、自作の筆。

ゴミの日に、毛糸が詰まった袋が捨てられていた。

キレイな状態で、中には、毛糸玉や、編みかけのぬいぐるみの手足や、胴体なんかが混在。

小さな手足や、胴体も、筆の材料といっしょに巻きつける。

書というのは、そのハネや、滲みの面白さを鑑賞するのである。

『このハネは、一体どうやって作ったんだろう』

見る人はそこを見る。

それは、油彩や版画、パッチワークでも同じなのだが、作る人は、

『これ、どうやって作ったんだろう。』

とか、『これは、こうやって作っているんだ』

などと、画面を見ながら技法の謎解きをする作品に引き込まれていることが多い。

少なくとも、作り手に、それぐらいのインパクトは与えなければならないと思う。

ところどころ、輪になったところもある筆で、ドボンとつけても、一部はアクリルなので、全く墨を吸い込まない。

そういう、予期しないマチエールや、ぬいぐるみの足先(上部にある、小さい黄色い丸い品が、足先)がプラプラとした状態で、半紙に

『エイっ』と墨を打ち付ける。

バシャリと跳ねる。

墨が半紙に滲む。

そうして、腕を大きく動かして、文字を書く。

まあ、そういう話である。

この書は、紙が、和菓子屋の菓子箱の内側に張られる和紙だった。

滲まないように作られている和紙なので、

折角の墨もたいして滲まなかった。

良く見えないと思うが、二枚を張り合わせて一枚の紙にしているので、真ん中が割れている。

バケツなどを使って、もっと大きい書を書いてみたいよなあ。

書が大きいので、写真撮影が面倒で、清書した作品の撮影はまだしていない。

まあ、そのうちに。

ぼんやりしていたら、黄色いインクをガーっとこぼしてしまったしな。

そんなに悪くなかったし、見た人は、そのきいろに引き込まれると思うけどね、採用されたのは、黄色がはいっていない作品だった。

あくまでも保守的であり、伝統というのはそういった人たちにより守られる。

そうして、その表現に限界を感じれば、外にでてしまい自由な表現者となる人たちもいる。

どちらが正しいということではない。

どちらも必要な作業であると思うこともある。

大切なのは、創作者が、何処を目指して創作をするのかという、根本を持っているかどうかである。

 

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