◆◆◆ 1039 ★ 上野の展覧会 ◆◆◆

 

2007.11.11

昨日は上野を襲撃。

ホントウは、六本木まで流れたかったのだが、時間的に難しい時間。

上野をゆっくりという計画に変更する。

順番としては、上野の森のシャガール展、フィラデルフィア美術館展、西洋美術館のムンクの順に攻略。

どのチケットも頂き物というのに驚く。

画廊になり、交友関係が広がったことや、アタシが、展覧会を良く見に行くということで、譲ってくれる方が増えてきた。とまあ、そういうこにとなる。

シャガール展は、版画が大量にあり驚いた。彼の版画は、バブル期には、よく、画商なんかで売られていたけど、最近はめっきり見かけない。

特に、リトグラフに見る独特の色彩や、あの、とろけているような線、面と面を色で仕切り、その中に違う絵(街の絵や、木の絵、人物、幻想的動物風)などを散りばめた作風は、どれも同じように見えるのに、シャガールの絵だなと思わされる。

オトクだったのは、銅版画で作られた、100点以上にもわたる旧約聖書のシリーズは(銅版画を学ぶ者としては)勉強になった。

今回の展覧会は、ナントカいう写真家が、シャガールの創作風景を撮影したポートレートの写真展も同時に開催されている。

あの天井画や美術舞台を描くシャガールのポートレイトは、素直に一枚欲しい。スゲーという作品で、心が動いた。お好きな方はどうぞ。

都美館に行く途中、女子学生さん(修学旅行?)が、ムンクの看板に反応。マティスより、ムンクにというのが笑えた。やっぱ、あの、『叫び』は、インパクトあるし、笑えるもんね。人の心というのは、思いのほか素直である。

フィラデルフィアは、予想以上に堪能できました。特に、日本人が好きな印象派系のコレクションは充実。物凄い混み具合。

見る予定の方は、お早めに。

ルノアールの、初期の作品と、晩年病が始まってからの作品の対比や、どちらも劣らない美しさに、目が釘付けに。

ピカソの作品も大きいのが来ていて、コレクションの充実振りに関心。

個人的には、ミロの初期の作品や、カンディンスキーの初期の作品に心を躍らせた。

なかなか見るチャンスがない作品ばかりである。

それにしても、日本人って、印象派が好きだよなあ。

展示室に入るなり、「これでもか」「これでもか」という知名度のある作家さんの作品が並び、ところどころに、見たことが無いという作家さんのがポツンとある感じ。

作品解説ばかりでなく、作家さんの解説が、どの作品にも丁寧に書かれていて、学芸員さんの頑張りが伝わってくる。

文字はもう少し大きくてもいいと思う。

日本人のアート鑑賞は、文字から行われる。

人々は、文字により、その作品の意味や、作家のこと、描かれた背景や時代、そういうものも知ることで、より、親しみを増すのである。

であるからして、作品や作家解説を軽く考えずに、展示を充実させれば、展覧会は、もっと盛り上がるのである。

そのあと、群炎、秋耕展、新芸術展の公募を見、書心展も拝見。群炎は、足立美術協会会長の斉藤先生、秋耕は、足立写真協会会長の小林先生が先導を取られている展覧会である。

アタシは、まだ設営中だったのに、それぞれのセンセイにお断りをし、拝見ることに。私の個展が始まると、もう、上野には来る時間がなくなるからである。

書心展は素晴らしかったですね。アタシに書の見方を教えて下さった、安東寿美子先生に感謝。先般の日展より、よっぽど素晴らしかったよ。

その後、ムンク展へ。ムンクの作品の完成度というのは、まあ、美術館級の作品などと比較すると、サラリと描かれて、それはまるで、素描や、中途であるような作品も混じっていた。

フィンランドに行ってみるほどでもないが、上野で見れるのであれば、見るべき作品展だと思う。

フィラデルフィアと比較すると、物凄い空いていて、ゆっくり楽しめる。

作品点数は、よくもまあ、こんなに集めたなという感想で、ガッカリはしないと思います。何より、女子高生に大人気ですからね。ギャルの感想に聞き耳を立てながら絵を鑑賞するという、新しい鑑賞方法。

これもアリだよなあ。

西洋美術館の常設展では、ロダンの彫刻を拝む。

アタシが、ロダンの彫刻の陰影について気づいたのは、立体に入る前の話だが、何度見ても参考になる。

人間と同じように作られているワケではないのだが、遠目、人間にしか見えないんだよね。

図録販売のコーナーでは、ゴヤのロスカプリチョスの日本語解説のついた図録が売られていたので、ちとお高かったのだが、買うことに。

前から探していたのよね。

個展が始まったら、留守番をしながらゆっくりと読もう。先日、画像のみが掲載された図録を買ったばかりなのだが、意味が解らないので、全く参考にならなかったんだよね。

意味が解れば現代版に焼きなおして、パクリ作品も夢ではない。

アタシは、別に、パクリ品を作りたいと考えているのではない。

だけど、ヨコオタダノリセンセイとか、ヤマモトヨウコセンセイなど、有名絵画を自分の作品に取り入れて、マスコミなんかの話題になっている実態を見ればね、自分でも、そういう作品を意識して作ろうという話である。

そういう(名画のパクリ作品)絵の方が、より強く人を惹きつけるのである。

集まってきた人に、自分の絵も見てもらえばいい。

とまあ、そういう話である。

ヨコオ先生のルソーのパロディー作品なんて、本当によく模写されていて、一部だけ違う作品なんだけど、絵の上手さや、発想の面白さなんかから、才能が伝わってくる。

才能というのは、持っているだけでは、世には出られない。世に出た人が、もし、そういう卑怯な手(パクリ作品は、業界ではご法度なんだけどさ)も使って知名度を上げているのであれば、アタシもやってみようという、そういう話である。

別に、結果が伴わなければ、誰も相手になどしてくれないのである。

そういえば、デュシャンにもあったよなあ。

モナリザのポスターの顔に、ヒゲ書いてエディションつけて販売してたもんなあ。「これが現代アートだ」などと言ってね。

彼は、『便器の展示』と、『モナリザにヒゲのいたずら描き』で有名になった男なのである。

有名って、一体何だろうね?

 

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