◆◆◆ 1036 ★ クリスト&ジャンヌの講演会-3 ◆◆◆

 

2007.11.9

私が、『デュシャンの泉が、現代アーティスト達に、一体、どんな影響を与えたのか?』

を知る鍵になったのは、「デュシャンは語る」

という本を読んだことである。

嫌まあ、正確には、読んではいない。

インタヴュアーの質問に、デュシャンが応答するという、短いコンテンツが、いくつもあるという文庫本であり、さすが、アメリカの質問者は、日本人みたいに、質問が下手ではないなと、感心したものである。

それは、デュシャンに、何を聞くべきなのかを、キッチリと練り上げて、作品の研究もし、本の販売も目標にしているということになる。

それは、インタヴュアーが聞きたいことではなく、読者が知りたいという内容に他ならず、うまく組み立てられていた。

アタシは、その本を、何度もパラパラとめくっては、断片的に、話を読んだ。

そうして、このくだりを見つけた。

「私は、何もかもから解放されて作品を作るために、結婚もせず、家も持たず、家族も持たなかった」

「何もかもから開放されて、創作する。」

そうなのだ。

そのために、あらゆる人間的な活動までも捨て去って、彼は、便器を展示するに至ったのである。

(ちゃんと読んでないので、もしかしたら、便器を展示したあと、このような哲学的な話になったのかもしれない。でもまあ、記録された日時は別にして、指針としては、意思が先にあり、そのあとで作品ができたんじゃないかと類推できる。意思がなければ、作品にはならないからである。)

そうして、この、

「何もかもから開放されて、創作する。」

というのは、クリストとジャンヌ・クロードさんの講演会でも何度も出てきたフレーズである。

彼らの意味する、「何もかも」というのは、金を払ってくれるスポンサー、無償で何かを奉仕してくれる、ボランティア、そういったものを指すようだった。

資金を自分で集めることができるのなら、「ポンヌフ橋を包む布に、コーラの広告をいれ、展示します」

なんてことから、開放されるもんね。笑。

アタシにしてみれば、企業スポンサーを集められれば、それはそれで立派だと思うけどね。

それでは、不自由だということなのだろう。

でもまあ、この共通する一言で、クリストさんが、デュシャンから影響を受けたことは間違いがないという確信が起きてくる。

そう、「自由である」ということが、一体何なのかという話なのである。

それは、人それぞれに違う。

クリスト&ジャンヌクロードは、短い期間の展示に宿る何かも表現したいという意志を持っているはずなのだ。

どのプロジェクトも、2週間の展示。

そのために、議員を説得し、膨大な申請書類を作り、許可されない場合も多数。

ま、仕方ないよね。

ザ・ゲートの場合、22億円も費用がかかり、3億円は、ニューヨーク市に公園使用料として支払われたのだそうだ。

市としては、大量の観光客がこの作品を見にきたため、80億ぐらいの経済効果があったのではないかと言われている。

これがアートというものなのね。

アートでもあり、ビジネスでもあり、自腹。

潔いわぁ。

書籍を買うと、サインをしてくれるという気軽さも素晴らしい。

図録も収益源の一つであることは間違いないだろう。

ゲートのTシャツも売られたらしい。

それも、収益源なのか?

ジャンヌは、

「私達夫婦は、3つだけ、一緒にしないことがある。

1つ、同じ飛行機には乗らない

1つ、(内容忘れ)

1つ、税務署との税金の相談。これは、アタシだけの楽しみなの」

ということらしい。

そうだよね。ずっと一緒にいると退屈だから、自由な時間も持つってことだと思う。

それに、クリストさんが全部をやるよりも、二人で、交互にプレゼンをしたり、足りない部分を補いながら、プロジェクトを進める方が、効率がいいもんねえ。

アートを作る、販売するというのは、実の所、作品を作るだけでは終わらない。

買う人を探し、その人と価格を決め、作品を引き渡す。

売上げは集計し、税金のための申告をする。

金の使いっぷりが見事であれば、税務署が疑うこともない。

こちらがわとしたって、何年かに、何十億の作品を発表すれば、その間、素描はどんどんと売れ、世界各地の美術館に招かれ、また講演などの収益も得られる。

世界中の美術館が彼の作品を買い求め、彼の作品は、その名前とともに、永遠にになるのである。

 

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