◆◆◆ 1002 ★ 新作ドローイング  ◆◆◆

 

2007.10.4

この絵を描いたのは、たぶん、10.3日だったと思う。

10月2日に、画用紙を140枚程仕入れる。

悪い画用紙ではないが、良い紙でもない。

まあ、中程度。

作品というのは、やっぱり、上の紙に残さなければならない。

描く量が多いので、習作は悪い紙になってしまっても仕方がない。

早くもっと作品が売れるようになって、いつでも特上で描ける様になりたいよなあ。

日本画の画家さんも、「このクラスの画家は、こんなに粗悪な材料には描きません」

という理由で、ニセだとバレてしまうこともある。

日本の場合、ヨイ材料に描かれているかどうかは、特に重要視されているように思う。

アート作品というのは、ぜいたく品だからだよなあ。

パウルクレーの作品なんて、その辺のゴミのような紙の裏に、クレヨンやなんかでチョロチョロと描かれているという感じにしか見えないけどなあ。

それは、日本画よりも高値で売買されていたりする。(日本で)

あれは不思議といえば不思議。アタシにはゴミにしか見えない作品もあるけど、それ以上に人気があるということになる。

この作品群は、カラーインクが、6色程度しか残っていなくて、仕方なく、余った色で描いてますという作品である。

だから、今までの作品と、色が少し違うのである。

嫌まあ、紙が悪いので、色がちゃんと発色しないという、別な理由もある。

ゲンダイアートファンのYさんに言わせると、そういう話(紙とか、色あせ)などは、気にしなくて良いという結論。

ワイセツオヤジ説によると、

「ちゃんとした画用紙に、自分が美しいと思う色で描かなくてはダメ」

という指導。

どちらも正しい。

どちらに進むのかは、作家が個々に決める話なのである。

それでもさすがに、もっと美しい色彩感覚を持っているのに、それが残せないというのは問題だなと思わないワケではない。

まあいいかぁ。

そういえば、ワイセツオヤジの話

左のドローイング群を見て、

「ゲンダイアートは解らない」

とつぶやく。

オジャラ「これは、平面作品ですからね、ゲンダイアートの作品は、こういう作品ではありません」

アタシは、内心、この人は、平面作品と、ゲンダイ作品の違いすら解らないんだと驚いた。

倉庫から、オシオッサさんのビニール袋に入れた息を出してきて見せてあげる。(メロンの桐箱入り)

彼は、ビニールをポンポンと叩いて、「芸術性が全く感じられない」というまっとうな感想。

オジャラ「芸術作品なんですから、触らないでよ」

というやりとり。

そのあと、アタシは、この作品の話をくどくどとしてみたが、ムダな時間だった。

作品の全面否定が先に来てしまう人は、理解する日も、ゲンダイ作品鑑賞を楽しむ日も、それを作れるようになる日も来ないのである。

ゲンダイアーティストは、そういう、「この作品は、芸術ではない」

などと激しく作品の否定をする人の反応を楽しむようなところがあると思う。

永遠に折り合わない感性のズレを、どのくらい拡げられるのか。そこに表現の力の差が出る。

机の上がイッパイになるぐらい、ドローイングが広がってしまい、描きすぎには気をつけようと思うのだが、描き始めると、止める事は難しい。

気持ちとしては、ニャンコ大集合展で販売する猫の陶芸作品や、来月の個展で展示する作品の最終仕上げをしたいよなあ。

今週からは、留守番を交代してくださる方がいらっしゃるので、少し絵を描こう。

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