◆◆◆ 993 ★ 足立区文化祭 搬入 ◆◆◆

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2007.9.30

今年も、足立区文化祭の季節になってしまう。

一年はあっという間である。

今年は、新作の額が間に合わず(自作のため)去年の作品を2点出す。

あの頃の作品は、ちゃんと作ってたよな。笑。

今のがちゃんとしていないということではない。

あれは、あれで、狂ったように、絵の具をチューブから搾り出し、手が絵の具だらけになり、それをふき取るてぬぐいやら、エプロンも、絵の具だらけになり、ホントウに狂気に満ちている。

しかし、固い絵の具の絞りすぎで手が痛くなり、少しは薔薇の絵や、猫の絵を描き進んでおこうというような気持ちになったりもする。

そうすると、今度は、薔薇ばかりが机の上に広がって、壁にかけた画肌の絵の具に、自分がつかないように、そーっとアトリエの乾燥棚と、机の間を往復するのである。

画廊では、初日、作家さんが出たり入ったり、その家族の方が来てくださったりしたけれども、夕方はパタリと人が止まる。

表紙イラストを描かなければならないということもあり、少し仕事をする。

そんでもって、紙が二枚余っていたので、小さいドローイングを作る。

何も、フェルメールの絵を描かなくてもヨカッタよなあ。

一発で描いたにしては悪くなかったと思う。

巨匠の絵というのは、構図や、色の配置、表情など、勉強になることが多い。

しかも、見た人は、安心するからね。

著作権も切れてるし、ときどき描こう。

という世界。

日本人って、つくづく何億円もする、お高い絵画だけが好きなのだと思わされる。

お高い絵画だけが好き。

なるほどねえ。

アタシも値上げしよう。

そういえば、北千住駅東口、駅から至近の場所に、有名版画を扱う画廊がオープンしていたので驚いた。

シルクスクリーン、一枚120万円だった。

120万円かぁ。どの画家も見た事のない新しい画家だった。ラッセンの絵に似てたけど、違う人だった。笑。

まあいいかぁ。

販売価格というのは、商法的には、売主が自由に決めていいことになっている。

高額な品であればあるほど、買うほうは、その値段が妥当な価値があるのかどうかを、事前に調べるべきなのだ。

車や時計なんかは、シッカリと相場というのを調べるくせに、何故、絵画に於いては、ちゃんと勉強しないで、思い込みで買うのだろうと思わないわけにはゆかない。

美術品の研究をしていると、ホントウに奥深い。

価値がわかって取引している美術商と、古い道具を、ただ集めて、雑貨のように販売しているお店というのがある。

全く違う形態のビジネスなのである。

そうして、不透明な価格設定のアートのマーケットの中で、もし、アナタが騙されたくないと考えるのであれば、どれも買うべきではない。

でもまあ、画廊なんかをちょこちょこ歩いていると、表向きでは解らない世界が、理解できてくる。

買わないとダメよ。買わないと。

画家の人は、ほとんど絵を買わない。

一枚でいいから、買うべきなのだ。

別に高い絵を買えと言っているのではない。

安くてもいいから、一枚でいいから、画廊で絵を買ってみる。

そうすると、理解できることは、物凄い多いということに気づくと思う。

以前、画廊を訪ねて下さった方で、話から推察すると、きっと画家に違いないのだが、「絵を描く人が、こんなに人の作品を持っているなんてねえ」と首をかしげながら帰っていった。

ピカソがアンリルソーの絵を集めていたというのは有名な話。彼は、倉庫が4つもあって、収集品も沢山混じっていたっていう話を聞いたことがある。

買えれば、美術品を買うよなあ。

二束三文で売られていた、ルソーの絵を、見れば買い集めたのだという。

鑑識眼があるからなのだ。

収集道というのは、画業とは違う。

安くて良い作品を、まだ作家が無名のうちに買い集める。持っているうちに作品の価値が上がってゆく。

そういう作品を集めるのが、収集道である。

そうして、それらが有名になったころに、大きな美術館に寄贈するとか、地元の自治体に寄贈して、美術館を作らせるとか、そういう活動に発展させてゆくというのが、王道なのである。

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