◆◆◆ 949 ★ 新作ドローイング ◆◆◆

7.15日は、台風なので、ギャラリーお休みにします。皆さん別な日に来てください。

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2007.7.15

「もちつけ。きっと届く」

あれだよなあ、失敗した紙の裏に更なる習作を重ねるというのは、前からやっていたことだけど、以前なら、失敗した紙の裏という負い目を感じていたよなあ。

ナラヨシトモさんとか、大竹伸朗さんの作品を見て歩いて、あまり、そういうことも気にならなくなったのは進歩だよね。

右下の足の部分に、番号のようなものがあるけれども、それは、裏の絵につけたエディション。

050065と押されている。

2005年、65枚目のドローイングである。

この絵には、この絵のエディションをつけなくちゃならないよなあ。

まあ、両面飾れるという意味では、お得かも。(裏はそれほどよくないけど。まあ、感じ方は、持つ人それぞれなので。)

この絵は、真ん中の天使と猫が描かれていた。

色を足して、それから、ガラスペンで、同じ構図のドローイングを加筆。

猫とかは、安定してきているよなあ。

アタマからは、花が。

まあ、違和感なく。

思えば、長谷川潔を見に行って、空中に魚の絵を見てから、アタシの絵も随分と成長を遂げた。

ありがちであるが、それは、自然に、違和感なく描かれなければならない。

そういう自由を手に入れたということなのだと思う。

この絵も、なんだかよく解らない。

そうだよ、よく解らない絵だよ。うん。

そういえば、「意味のない絵」について、議論をしたことがあった。

「意味がない絵は認めない」みたいな話になったときに、「意味がある絵を作るよりも、意味が無い絵を作るほうが難しい」

という反論をし、難しさという意味においては、「意味の無い作品」という創作の方が、よっぽど非凡だということである。

テレビ番組などを見ていても、「意味の無い作品」については、ときどき解説が入ることがある。

評論家の中には、「作品には意味がある」という、大きな勘違いをしている人がいると思う。

人間的であり、全く常識的である。

そういう人が、「この作品については良くわかりません。作家が、意味の無い作品を意図して作ったのかもしれません」

などと語ったりする。(嫌まあ、この人の話は、意味の無い作品について、理解が深いと類推できる)

だけど、そのあとに、「どんな意味が込められているのでしょう?」

などと、続けたりするから笑ってしまう。

「意味ねーんじゃねーの?」

と、本心から思うのだが、まあいい。

俳句と同じように、見た人が、自由に絵の意味を考えれば、それでいいのである。

この絵は、正月に描いた作品。

最近の絵は、ホッペが四角だからね。

今度から、絵に日付もいれることにしよう。

日付だけはピカソ並に。笑。

7.16

朝から昨日描いた、名刺用データの加工を作り終わり、自分の名刺でも作ろうと思い立つのであった。

画廊の名刺、まだ作ってないよ。

たはは。

アタシの名刺は、インクジェットプリンタで、普通の紙に印刷して、手でカットという、恐ろしい名刺だもんなあ。

まあいいか。

それが一番安い。

今日は台風直撃かぁ。

昨日も誰も来なかったしなあ。

ということで、ギャラリーお休みにしますので、皆さん来ないで下さい。

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