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2007.7.8

今日は区内の画家「大島一広」さんが来てくださる。

大島さんは、何年か前、アタシの個展にやってきて、個展の最中だというのに銅板画を作って帰っていった男である。

そのあと、区の展覧会で再開し、また、去年のアートイベントの時などに大変お世話になった方である。

彼は、一昨日辺りから何度も電話をかけてきて、花を贈るので受け取れとか、送り先の住所の確認とか、何日に贈るのかとか、そういう話をしてくる。

あれだよなあ。

画家の人って社会適応能力無いなあと思うことが多いけど、それは、彼と接しているからかもしれない。

彼は、私の知る限り最も貧乏な男であり、(それは、本当の画家という意味で必然なのだが)

アタシは「花なんかいらないから、辞めてくれ、どうしても贈りたいなら、絵の具かなんかにしてくれ」と何度も断ったにも関わらず、強引に花を贈る注文をしてしまう。

勝手に送りつけてきて、今度は、企画で展覧会をやらせろなどと言ってくるので、嫌われるんだよなあと思わないわけにはゆかなかった。

ある意味、こういう自己顕示欲というのも画家らしく、アタシは、彼の作品が日の目を見る日がいつか来て欲しいと願わないわけには行かない。

大島さんは、まず、ウチの画廊の中にはりめぐらしたフェンスが気に入らなくて、「こんなの取っちまえ」

と言い出す。

オジャラ「この画廊はね、ウチの母の持ち物だから、アタシの一存では決められないのよね。最初は、フェンス無しで使う予定だったけど、アタシは1人で膨大な数の作品の設営をしなくてはならないし、物すごい金がかかった壁面がボコボコになっちゃうのを防ぐのにも、このフェンスは有効だと思う。母の強い希望なのだから、取ることはできないわ」

大島「絵の邪魔になるだろう。こんなの展示として最低だ。」

オジャラ「そういう人は、ウチではやらないの。他でやるから、それでいいじゃない。そういうのが気にならない人がウチでやればいいんだから。画廊なんて、星の数ほどあるのよ」

大島「何故ピクチャーレールにしなかったんだよ」

オジャラ「あれはね、物すごく設備費用がかかるの。(一本6千円とかして、しかも、フックやワイヤーも高い上に、10kg程度しか吊るせない)

資金的にムリだったし、展示の設営するのにキャタツを使って、高い所の作業があって危ないでしょう。ご高齢の人が借りる画廊なんだから、ケガとかされると面倒なんだよね」

という会話。

そんでもって、以前竹ノ塚に画廊があったときも、企画で展覧会はやらせてもらえなかった話とか、バルコ(カメアリ)で展覧会したときにも、売れなかった話になる。

嫌まあ、絵って売れないものだしさぁ。

彼の絵は、具象を超えて、被写体があるにもかかわず抽象っぽいし、いつもテーマが「ちっちゃな僕と太陽と海」

というタイトルの絵だからね、(アタシが見たことのある、彼の絵の全部がそういうタイトル)

見た目、大島さんの絵だと、どの絵も解るスゴイ絵ではあるが、千住や亀有の人は買わないだろうという筋。

でもまあ、老舗画廊も扱わない筋ってことのよう。

日動画廊なんかに並べば売れると思うけどなあ。少なくとも絵としては、あそこに並んだとき、他を圧して、彼の画力が勝つと思う。でもまあ、老舗画廊は敷居が高いらしいから、知名度の低い彼は大変だと思う。

絵って知名度なんだろうか?(→絵というのは、本来は絵そのものが勝負なのだが、日本の場合知名度が、画力より重要である場合が多い)

死後100年して、なんとか世に出るとか、そういうタイプの絵かもなあ。笑。

そんでもって、ウチの画廊で企画をやりたいみたいな話になったので、

オジャラ「あのねー、企画画廊っていうのはさ、絵が売れるという目処があるから、企画をやるわけでしょう。

絵を売ったお金の何パーセントかが、画廊に入るから、引き受けるわけでさ、売れる予定が無い絵の企画展なんて、誰がやるのよ?第一、人の絵を売ってる時間があったら、アタシは自分の絵を売りたいよ。ここは、貸し画廊なんだから。」

とバッサリ。

画廊には画廊の格というものがある。

作品を顧客に販売できる画廊というのは、そんなに沢山存在しないのだ。

それ以外は、貸しと割り切って、楽しい時間を過ごしていただけるように工夫するべきであり、それ以上のものは何も無い。

大島さんより、ゼッタイにアタシの方が絵を売っていると思う。

絵の価格が安いからってこともあると思うけど、それだけでは絵は売れたりはしない。

作品というのは、お客様との対話であって、独りよがりではいけない。

売れない絵を描き続けていると、不安になり心まで病んでくるもんなあ。

それを乗り越えてまた描くのか、お客様にシッポを振るのか、売れないまま生きるのか。

画家の人生の選択枝というのは余り無いんだねえ。

嫌まあ、ドラマになったときには、大島さんはアリだと思うよ。「壮絶な画家の人生」的シナリオはバッチシ。

 

大島さんが贈って下さったお花。

まだ、お花を頂く程の絵でもありませんが、お心遣い深く感謝いたします。

また、良い絵が描けます様、精進してゆく覚悟です。今後ともよろしくお願いします。

そういった、画家の魂の叫び的絵をね、理解できるレベルの人がいないっていうのが淋しいね。

まあ、また、区内の画家さんたちを集めた展覧会をやるかもしれないから、そのときにはヨロシクという話やなにかをして、彼は帰っていった。

絵は何故売れないのか?

嫌まあ、銀座の画廊を流している限り、売れている絵というのはある。

であるからして、「全ての絵が売れていない」ということではない。

「売れている絵と売れていない絵がある」

ということになり、

「売れている絵とはどんな絵なのか?その絵は何故売れたのか?」

まあ、その辺りも研究しないと、一生売れないままだということなのかもしれない。

売れている絵と売れていない絵には、明らかなる違いがあり、売れていない絵には、、何か足りないものがある。そういうことになる。

その「何か足りないもの」を自分の絵に足しこむことができなければ、その絵は生涯売れることも無い。

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