◆◆◆ 937 ★ 金山 平三(かなやま へいぞう,1883年 - 1964年) ◆◆◆

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2007.7.2

テレビ番組を見る。

金山 平三(かなやま へいぞう,1883年 - 1964年)

洋画家。

テレビによれば、売り絵は決して描かなかったのだという。

ふーん。アタシには、どれも、額縁屋がミツコシで売っていた、売り絵のように見えたよなあ。風景画って、やっぱ、(差やオリジナリティを出すのが)大変だよなあ。

実物を見ないと何ともいえないけど、最初に見た印象は、風景画なのに、随分と手がかかっているなという感想。

(テレビ映像の絵であっても、)作家がゼッタイに被写体を見ながら描いているに違いないという確信が、アタシにはあった。

油彩の場合、乾燥するのに時間がかかるから、外で描いたとしても、短時間に仕上げる、佐伯祐三みたいなタイプか、何度も足を運んで作るのであれば、写真を見ながら描くというのが圧倒的に多い。

そういう絵でないことは、パっと見で解る。

「随分と手の混んだ、いい絵だなあ」という素直な感想。

アタシの場合、風景画というのは、見ていてあまり心を動かされることは無い。

テレビ番組によれば、平三は、同じ場所を同じ季節に何度も訪れて、絵を完成させていったのだという。

なるほどぉ。

全て被写体の前で、何度も塗り重ねられた、金(旅費)のかかった作品ということである。

そういった、作家の信念が伝える何かはある絵である。

そういったオーラのようなものが、絵から出てくるか出て来ないか。これが、画家の作品と趣味の作品の違いということになる。

モネの番組を見たとき、モネは、「(マネの推奨する)意味のある作品から離れ、徹底的な風景(の瞬間表現)を極める作品作りをしよう」と決意したと、解説者は説明していた。

作品から伝えられる作家の芸術性というのは、どんな創作をするのかという、作家の創作意思も含んでいる。

評論家筋、研究者筋というのは、

「作家が、何を目指し、創作を進めているのか」

という生涯を通じた精神的なテーマに関しても、きちんと見極めていると思う。

ようするに、絵を評価する立場の人は、作品を見ているだけでなく、「作家が何のために、どんな創作活動をしたのか」ということまで、重視しているということになる。

であるからして、テレビ番組には、かならず、そういう部分に触れる時間があり、家族構成やら、経済状態、実家が何の職業だったのか、何故、その場所に住んだのかなど、創作の背景や原動力となった話も織り交ぜるようである。

嫌ね、そのテーマというのは、同じテーマである必要はないんだよね。

ミロのように、「新しい絵に挑戦し続ける」というテーマもあれば、ピカソのように、「絵を破壊し続ける」「人物(主に女)しかかかない」

というテーマだって存在する。

大竹伸朗さんのように、イロイロな作品をつくり、自分らしさが作品の中に出て来ないようにする

という創作意思もあれば、陶芸家の国吉のように、「唯一無二」という哲学もあると思う。

大切なことは、作家自身が、そういった自分なりの創作の方向性を持ち、創作をしているのかどうかということである。

アタシは、「オジャラさんは、イロイロな画材で作品を作りますけど、一体、何になりたいんですか?」

と聞かれることが多い。

「作品の持つ芸術性というのは、手段とは関係なく、同じ場所にあると思う。イロイロな表現を通して、自由な表現を模索するとともに、画材や創作工程に対する知識を増やしてゆくことで、自分の作品が、人と違うモノに進化してゆくと思う」

というようなことを答えていると思う。(こんなにちゃんとは答えられていないのよ。たぶん)

イロイロな作品作りを通して、「自由に創作する」ということの難しさを学んでいるということになる。

例えば、この重箱の作品。

古い重箱にカシュー漆を塗り重ね、中に詰め物をした作品。

重箱に、塗りをするという単調な表現であるけれども、平らに塗ることすら出来ない。

描画の鍛錬を積んでいるつもりでも、金泥で描かれた線は太くなってしまい心が行き届かない。

まあ、そういう現実と、理想の作品との溝を埋めるために、次はどんな習作を作ればいいのかを考える。そうして、それを作る。

そういう話である。

金山センセイの話にもどれば、奥さんは安定しない画家の生活を支え、彼の死後は作品のほとんどを手放さず、美術館にまとめて寄贈したのだという。

山形に住んでいたのに、兵庫の美術館に収蔵されている。

何を意味しているのかといえば、奥さんは、(諦めずに)日本全国の美術館に、寄贈の意思を打診して、作品を世に出した、ということになる。

本来であれば、地元の美術館が担うべき筋の話なのに、美術館の学芸員というのも、自分の研究及び、研究対象品の収集に没頭するあまり、地元作家の知名度の底上げというのがおろそかになっていると思うことが多い。

もし、美術館にまとまって作品が残されていなければ、彼の名前も、絵と一緒に捨てられていたのである。

嫌まあ、アタシの絵でも、捨てた方がいい絵も大量にあるけどさ、残ってもいい絵だって、いつかは作れると思う。

でも、収蔵してくれる美術館は無い。

現実とは、そういうものである。

頑張って、個人の収集家を狙うわ。笑。

そっちの方が、ハードル高かったりしてね。うふふ。

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