◆◆◆ 916 ★ ねむの木学園 ◆◆◆

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2007.6.4

テレビ番組、ねむの木美術館ができたというので、特番がくまれていた。

障害を持つ子を集めて学園を作って、そうして絵を描いて40年。

立派な活動だったと思う。

館長さんももう80年で、40年といえば、足立区美術協会と同じ年である。

館長さんは、5年ほど前ガンで手術をしたのだという。

「2-3年前にね、何かやり残したことがないかなと、ふと考えた」のだそうだ。

そうして、子供達からもらった作品3万枚は、一枚も捨てずに持ち続けた。

それを、(自分が死んだ後にも、残してあげたい)

そう考えて、(たぶん)私設の美術館を作ったという話である。

館長さんは、始め、学園を作って子供達に絵を描いてほしいと思ったときに、教育委員会から派遣されてくるセンセイにお願いしていたのだという。

「センセイ方は、絵を直したり、ダメだと言ったりするの。それからね、絵を貼り出して、いい絵だとか、悪い絵だとか、上手いとか下手だとかいうの。これではダメだと思ったの。」

そうして、絵の派遣はヤメにして、クラブ活動という形を取ることにしたのだそうだ。

ジャズを流したり、おやつで釣ったりして、(生徒)全員がそのクラブに入ることになる。

館長さんは、生徒が書き上げた絵を、「うれしい」とだけ言い、もらい続けてあげたのだそうだ。

上手いでもなく、ヘタでもなく、ありがとう。嬉しいわと言われるのが嬉しくて、子供達はどんどんと絵を描くようになっていったのだという。

そうだよなあ。

ウチにも、「2歳の子供に絵を習わせたい」とかいうママが来たことあったけどなあ。

「絵なんてね、子供は誰だって、勝手に描いちゃうんです。でもね、ほとんどの人は、絵で食べられるワケじゃないんです。そのお金でね、パソコンと英語習ったほうが子供のためですよ。そうしてね、実社会で金を稼げるような人間に育てるのが親の勤めだと思う。

絵はね、好きなら、1人で描きますから。ママがしてあげられることはね、紙とクレヨンとかね、絵の具とか、そういうのを子供の近くにいつも置いてあげることだと思います。」

ママは、大いに納得し、ニコニコと帰ってゆく。

我ながら天才的な指導。

え? 絵でも教えて稼いだらどうか?

アタシのようなヘタクソに絵を習っても仕方ないもんなあ。

岡本太郎も言っていたけれども、絵(創作)というのは、自発的なものであり、作りたいという気持ちがあれば、どんどんと作ってしまうものなのである。

もし習うとするのであれば、技術的な部分だけであり、もし、技法を押し付けるような先生なのであれば、習うべきじゃないとアタシは思う。

それは、ねむの木の館長さんもそう。

「自由に描かせる、絵を描く時間が楽しくなる。」

そういうセンセイになら、アタシもなりたいなと思う。

藝大の公開講座に出たときに、学長さんがチョロチョロと様子を覗きに来た。

「作品は、楽しく作らなければなりませんよ」

ニコニコと、皆さんに声をかけられた。

私の作品の前では、

「楽しんでいますね。」

そういい残し去っていった。

作品作りの楽しさというのが、表に出てしまっているのだと思う。見る人は、その事を見逃さない。

絵を描いているときは、生徒達みんな、揃いのジャージやトレーナーを着ていた。

美術館のオープンの時には、揃いのスーツを来て、キリリとバスでやってきた。

(障害があるので)自由に服を買ったりもできないんだと、ハっとした。

それでも、ちゃんとしなくちゃいけないときのために、スーツを作らせているんだと思った。

学園内で暮らしていたら、そんなにフォーマルな場があるわけでもない。限られた予算の中で、なかなかできることではない。

ハンデがあっても人間らしく生きられる場所なのだと、心を動かされた。

ご高齢にも関わらず、資金集めやら広報活動などを一手に背負った館長さん。

美術館になれば、作家さんの知名度を上げられて、カレンダーとかポストカードとか、図録、原画を現金化できる。

そうしたら、運営資金に回せるかもしれない。

3万枚の絵の中で、展示作品を選ぶのがシンドイ作業だと言っていた。どの絵にも思い出があるのだと思う。

それでも、自分達の作品を常設できれば、いつか、どの絵も展示される日が来る。

そうして、足立区には、23万世帯もあるというのに、そういう場も無いのだと呆れ果てるのである。

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