◆◆◆ 906 ★ ニャンコの経過 ◆◆◆

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2007.5.12

さすがに猫である。

メキメキと回復をし続け、何とか歩けるようになる。

ジャンプができないため、高い所にはまだ登れない。

以前のように、近所の屋根を飛び歩くということもさすがにもうできないと思うと、少し安堵。

親心というのは複雑である。

毎日外でニオイをつけるというのを日課にしているため、ニャンコは、必ず外に出てしまう。

出さないとウルサイし、歩かないと歩けなくなってしまうということもあるので、適当に外に出す。

まだ完治していないのに歩き回るというのは、本能的なものなのだと思う。

でも、よっぽど具合が悪いと、ずっと寝ているので、ある程度歩こうという意欲が出てきたのだと思う。

昨日は母が訪ねてきて、工事の進捗状況を確認する。

母は、神社の暦のようなものを持ち歩き、「アナタの今年の運勢は最悪だわ」

などと、その本をアタシに見せるのである。

運が悪い話を聞かされても、全くハッピーじゃないけどなあ。

暇というのは恐ろしいと思わないわけには行かなかった。

ウチの祖母も、神社が配ってくる暦のような毎日の占いを見ては、「今日は日がいいから、靴をおろそう」

などという決断をする。

それは、決断ではなく、暦に従い生活をするということに他ならず、随分と楽して生きてこられたんだなあと思えてくるのである。

何かに頼るほうが、頼らないよりもずっと楽に生きられる。

もし、生きるのが辛い人は、なんらかの宗教などに頼って生きるという選択もあると思う。

宗教というのは、ある種の組織であり、困った人を助けてくれる場合も昔は多かった。

今は信者から金をむしりとる、成金組織も混じっているからねえ。

何を信じていいのやら、アタシも困った人に適切なアドヴァイスはできないんだけどさ。

嫌まあ、幸せならば、何でもいいんだよね。うん。

新しい服や靴をいつ使い始めるのか程度の決断であれば、まあいい。

そうやって、重要な話(結婚とか、土地の取引、ビジネスの話、国家の決断)でさえ占い任せで、自分の人生の不運を毎日嘆いているのであれば、そういう生活と決別するべきだと思うけどね。

アタシは、そういうことからは卒業したので、別に今年の運勢が悪いとか、厄年だとか言われても全く気にならない。

例えば、悪い霊がついているから、お払いを受けたほうがいいと言われても、きっと受けない。

信心というのは、人の心を安堵に導くものでなければならず、もし、不安にさせるアプローチなのだとしたら、それは、道からはずれているとアタシは考えているからである。

仏教の寺院なんかは、箱に金をほおりこみ、こちらの願いを一方的に祈るという強引なシステムであり、運営するほうは随分と上手くやったよなと、神社に行くたびに思う。笑。

それでも、(仏像や、寺が古いとかいうだけで)あんなに集客できるなら、あれはあれでアリだよなあとも思うのである。

浅草寺の賽銭箱なんて、アタシのアトリエよりも広いもんなあ。

そういいながらも、大黒様が祭られている3丁目の神社には、今度の商いがうまく行くように、お参りに行ったりしているからな。人間の行動というのは、思考とは別な場所にある。

絵を描く暇がないというのが最も問題である。

青色申告なので、会社の決算も終わらせる。

「決算書が間違っています」

などという税務署さんの指摘。

「でもまあ、申告はこれで結構です」などという理由で、受理してもらう。

今まで何も言われなかったけどなあ。

もう一回、勉強して、仕分けを正しく損益計算書に反映させないとねえ。

もともと、自社開発ソフトで、結構いい加減だとは思っていたんだけど、何も言われなかったので、そのまま4年も過ぎていたということになる。

今期の売上げはといえば、去年の250%増。

パチパチパチ。

WEB構築のバイトを始めたからね。

やっぱ、WEBというのは金になるね。

アタシがてこ入れする場合、SEO対策で、上位に来れるからね。笑。

なかなか得がたいスキルだと思う。

別に、SEOがうまく行ったからといって、絵が売れるという事とは違うんだけどね。

上位に行かないよりはいい。

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