◆◆◆ 886 ★ 国立新美術館 ◆◆◆

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2007.4.2

おおっ。 国立新美術館は、モネ展のオープニングセレモニー開催日。

このイベントは、美術館・画廊関係者・出版関係者などを広く招待し、この展覧会の素晴らしさなどを学芸員が熱弁する会である。

当然に、一般の人は入れない。

早く美術関係者にならないとなあ。笑。

このイベントの集客→口コミや、メディアでの露出増→展覧会への動員増

という構図。

アタシも、なかなか、アート業界の研究が進んできたよ。

であるからして、ワインや無料食べ物なんかも出したりして、盛り上げるのよね。

一回参加したことある。

キツネにつままれた気分だったけど、ガブガブ飲んで、ガブガブ食べたっけ。笑。

川越美術館の館長さんも、このイベントに参加ってことなわけよ。納得。

新美術館は、テレビで見たときよりも小さく感じた。

さすがに中は広い。

嫌まあ、4つの大型の展覧会が同時開催だからねえ。

地下のショップも見たけど、なかなかイイ感じのグッズが大量。

一個も買わなかったけどさあ。

芹沢ケイスケの図案の図録とか、欲しい図録は沢山あったよなあ。

公募展のチケットで、公募を拝見。

うっひょー。知人のお姉さんは第一室に展示!!

それにしても、随分沢山と展示されているよなあ。

驚きの数と質。

世の中には、イロイロな公募展が存在するけど、大型の公募展というのは総じてこういう風になる。

抽象も具象もほとんどなくて、全てが風景・静物・人物という不気味も。

あれだよなあ。これだけ数あれば、ゲンダイ系や半立体なんかもあってもおかしくないんだけどね。

それが、会の傾向ということになる。

そのあと、パリのなんとか展というのを見る。

やはり、芸術家の作品と、公募展の作品というのは、全く筋が違う世界なのである。

芸術というのは、芸という文字が入っている通り、見る人を楽しませる。

とまあ、そういう趣向が作品の中にこめられているってことなんだと思う。

それは、写真であっても、そういう話で、見た人に楽しさを与えるエッセンスが詰まっている場合が多い。

まあ、学芸員の好みというのもあるからね、上野の森美術館なんかは、アタシの好みからはズレちゃうなあといつも思うんだけどさ(→それなら、行くなよという世界!!)、美術館の扱い作品にも傾向があるってことになる。

大きい美術館には学芸員が何人もいて、それぞれが企画・展覧会を開くからね。

アタリやハズレもあったりもするわけよ。

フジタの作品やピカソの作品は、まあ、いつ見てもいいなあと思うわけでね、安定した良さというのがスゴイなあと思うわけ。

これが、クレーとかミロとかいう話になると、アタリハズレが大きかったりするのよね。

(今回のミロの作品は、パっとしなかったよなあ。)

後半のゲンダイアートの展示なんかは、面白かったのも多かった。

例えば、ライフルを持った男の石膏像(実物大)を、作者がパリの街を持ち歩くというビデオ。

面白いよなあ。

どの絵を切り取っても面白いし、パリの街中の様子もよく映っている。

所々、その石膏を動かして、コミカルな動きをしたりもする人で、作家さんはユーモアのセンスのある人だと思う。

だけど、その意義としては、反戦とか、戦争に対する何かを強く訴える作品にまとまっていてね、見事だと思わされた。

また、白いオブジェの中で生活をするとかいう作家さんでね、死ぬ間際は、

「白い服を着て、怒鳴り続けるだけのビデオ」を残している。

いやあ、これを見たけどね。

怒鳴りすぎたから死んだに違いないという確信。

まあ、このビデオが、世界中の美術館で上映されるのだから、作家さんも本望だったと思うよなあ。

そういう、異常性と作品存在の表裏一体感がね、ゲンダイアートの奥深さだと思う。

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