◆◆◆ 883 ★ 写真の展覧会 ◆◆◆

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2007.4.2

とある場所で写真の展覧会が開かれていた。

個人的には、知人の展覧会と勘違いして足を運んだのだが、写真家の人が作ったムービー(静止画をつなぎ合わせて、パソコンで見るタイプの品)をみなければならなかった。

プロジェクターに向かって作品を見なければならない展示方法で、(本来は、プロジェクターに投影された壁の方を見るのだが、逆向き、本人は、気に入っているようだったけど、)作品はプロジェクターのヒカリでよく見えなかった。

というか、プロジェクターのヒカリは目に負担になり、上映の間中不愉快極まりなかった。

10分もかかるムービーで、ハッキリ言って迷惑だった。

少なくとも、目に物凄い負担がかかる作品で自分の眼のことばかり気になった。

アートって、何なんだろう。

作品を拝見したあと、彼女に、「写真展で賞を取っている作品と、そうでない作品の違いを研究するといいと思うよ。嫌、別に、賞を取れって言っているんじゃないのよ」

と話したら、物凄い嫌な顔をされてしまう。

アタシは、「アナタは作家さんなの?」と聞くと、「10年間、作品を発表し続けています。」

などという答え。

作品を発表すること=作家ではない。

と言いたかったがそれは言わないことにした。

そうでなくても、「迷惑だからご意見無用」という表情がみなぎっていて、これ以上何を言っても、彼女は受け入れることはないと思ったからである。

自分の作品に満足して、人への迷惑すら解らない人に、何かを助言するのはムダというものである。

ムービーであるのなら、もっと短くいくつか作るべきだし、見る人にプロジェクターのヒカリを向けるべきでもない。

それなのに、最後まで見てあげたアタシっていい人だよなあ。

10分間損したぜ。

それでも、行かなきゃヨカッタということではない。

そういう展覧会は滅多にない。

そういう意味では、まあ、勉強にはなった。

作家活動というのを勘違いしてはいけないということである。

10年もやっていると、誰かに何かを言われたりするのも、それを受け入れることも不愉快になるってことだと思う。

ごもっとも。

この先も(このままでは)売れる予定はないのだから、自分の創作の信念を貫くしかない。そういうことなのかもなあ。

理解してもらえないのは、鑑賞者の作品を見る力が不足しているからだと考えている人も多い。

「誰も自分の作品を認めてくれない」などと愚痴り合っている、美学生の展覧会のことを思い出した。

だけど、実の所、自分で自分の作品の足りないところに気づけなければ、不足している作品を昇華させることもできない。

絵の力を売れるレベルにまで上げてゆく、それが作家業の本質である。

マツダ権六も、「デザインが悪いと、どんなに良い材料を使っても、作品がよくならない」と話していた。

また、「技術が伴わないのに、デザインばかり先行しても、作品は完成しないとも書いていた。」

どちらも大切だということのようだった。

先日行った展覧会で、手書きの百人一首というのを見かけた。

金箔が貼られた特注のカードに、日本画で描かれている力作であった。

が、書も絵もいけませんという世界。

材料がもったいないよなあ。

少なくとも、もっと、書の力をあげてから作るべきだったと思えてならない。

書が解らない人だって、ヘタだなあと思うと思う。笑。

まあ、人の作品だから、どうでもいいんだけどね。

自分で、自分の作品の稚拙さに気づいて画力を上げようという気持ちがあるかないか。

それは、作品の中に出てしまう。

どんな展覧会であっても、行くのは勉強になる。

長島センセイなんかは、いつも、作家のお友達からもらった案内を持ち歩いていて、それがいつもマニアックというか筋の世界で。笑。

ああ、こういう世界があるものなのだと思うわけで、お友達も優れた作品を作るグループに昇華していくってことなんだろうなあ。

オジャラよ。早く、この稚拙な版画作品から抜け出ろよ。

そういうことなのよね。

これだけエラそうなことを書いているのに、この作品だからさ。笑。抜け出る日は遠いわぁ。

文才とアートの才能というのは、ビミョーに違う場所にあるってことなのかしら?

最近ドローイングなんかをサボっているから、また再開しよう。

今年は、まだ何枚も描いてない。

描いているのは、カフェ&画廊の間取り図のみ。笑。

随分描いたけどなあ。(→手書きの方が早い)

今日は、概ねの間取りが決定し、保留案件は、金が入ってからということも決まり、進展のあった一日であった。

あとは、誰が留守番をするのかだよねぇ。

画廊という案ではなく、レンタルボックスという案でもいいかなあとも思う。

近所のその筋のお店は閉店してしまったし、世の中、何かを販売したいという人ばかりである。

まあさ、レンタルボックスっていうのはさ、個人的にはレンタル料を回収するのも結構大変だと思うんだけどね。

秋葉原の、ケ゜ームとか、フィギアなんかを売っているBOXは、どのBOXも楽しそうだったけどね。

アートやビーズなんかは、大変だよなあ。

販売価格が安いもんなあ。

売れても儲からないよ。

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