◆◆◆ 869 ★ 和菓子の番組を見る ◆◆◆

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2007.3.25

オジャラは、バイト探しをしていたときに、地元の和菓子店のバイトというのを受けようと思ったことがあった。

毎日4時間程度のバイトで、自転車で行けるキョリにあった。

和菓子のことって良くわからなかったけど、その造形というのや、創作の自由さというのは、アートに通じるモノがあるなという気がしたからである。

結局そこは受けずに、他の所に決まったのだけれども、今のバイトも日数が減ってきたし、他の会社に勤めるというのも面倒だしさ。

どうしようかなと思いながら、その番組を見た。

和菓子というのには、イロイロな意味が隠されていて、和菓子そのものも、季節や、干支とか、中のアンとか、イロイロな秘密があるものなのだとその番組。

美しい色だよなあ。

画材だと思えば、あれはあれでアリだと思う。

日本的な洗練されたフォルムは、どんな彫像と並んだって勝つかもしれない。

 

番組の中で、「江戸時代の人は、直接的な描写を避け、物事の裏を読み取らせるような表現を粋だと考えていた」

などという解説がある。

それは、てぬぐい・着物の文様だとか、和菓子、浮世絵なんかにも、そういう、裏の意味を込めて、(単調で辛い)現実の生活を楽しんだという話のようだった。

なるほどねえ。

「直接的な表現を避け、裏の真意を読み取らせる」という考え方は、まさに、俳句そのものなのよ。

だから、俳句が、直接的表現を避けているということが、不思議でもなんでもない。

「おーいお茶」の審査員よ。頼むから、最低でもその辺は理解してくれよ。そうでないと、日本の俳句がダメになるぜ。

という内心。

まあいいか。俳句界も画壇と同じような状態。

俳句の本を見る限り、美術専門雑誌と同じように病んでいて、到底定期購読しようという気持ちにはならない。

俳句も和菓子も同じ世界にあるのだと知れば、日本という国の謎が解けてくる。

アートだって、「奇妙奇天烈・奇想天外・摩訶不思議」であってもいいと思う。

否、そうでなくてはならない。

そういうことになる。

「自由で新しい作品=奇想天外」ということになる。

和菓子の番組は、イロイロな事を教えてくれた。

和菓子の店主はどの方も、お題を与えられれば、お題に合った新作菓子を創作してくれる。

何よりも、作品なのに、食べれるという所がいい。

そういう意味では、売れない洋画家や彫刻家よりもずっと立派だし、食べられるという部分においてはアート作品以上の場所にある。

お題に沿って、それぞれがオリジナルな菓子を創作し、外見を評価。更に、中身も鑑賞→食べて、味も評価する。

そういう世界なわけよ。奥深いぜ。

甘いものを食べると脳が活性化され、より良い思考が産まれるのだという。

そういえば、ニンテンドーDSをゲット。

老化防止で話題のソフトを購入し、毎日小さい計算問題やら、画像・数字のはや覚えなんかのテストを継続する。

毎日やると、考えるという作業を通して脳が活性化されるのだそうだ。

アタシ的に言わせてもらえば、文章の音読は、しゃぼんだまあおいそらの読み返しで、文章の作成は、自発的に、小さい数字の計算は、自己申告の八百屋での買い物で鍛えている。

オットは、アタシの方がバカだと思っていたのに全ての練習問題で、アタシよりも下の成績だったことにショックを受けていた。

家で、オットとの会話がちぐはぐなのは、アタシが、全力で他のことを考えているからなのだと思う。

今だったら店の話で、その前は、てぬぐいとか、カシュー作品の構想などを真剣に考えていると、それ以外の話がないがしろになってしまうということで、唯一の被害者であるオットは、それがボケの進行だと思っているようである。

まあいい。アタシが何かを始めると、そのたびにオットが迷惑しているという事実には間違いがない。

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