◆◆◆ 864 ★ タマゴの殻だらけ ◆◆◆

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2007.3.12

松田権六が、卵の殻を使って漆工芸を作っていたという話は、アタシのアタマの中に、強く残っている。

タマゴ料理をするたびに、この殻を使って、何かを作ってみたいという気持ちにさせられる。

マツダセンセイ曰く、「漆は、(樹脂のため、多少黄色がかっていて)どんなに透明に見えても、完全な白というのは作れない。

そこで私はタマゴの白に眼をつけた。」

などと語られていた。

タマゴを小さく割ってはりつけたマチエールは、本当に趣深くて、そうして、どこまでも白いのである。

アタシは、ここ何日かの間、タマゴの殻を集めている。

タマゴを割って、殻の薄皮を取り除いて乾燥させる。

そういうのをいくつも作っていたときの話。

割れたタマゴの造形というのは、本当にタマゴでございますという形をしているのである。

それは、誰が見たって、卵なのである。

ああ、存在というのは、こういうものをいうのだろうなあ。

アタシは、この、砕ける前の殻にカシューを塗って、カンバスに貼り付けたいという気持ちでイッパイになっている。

例えば、表面が肌色のタマゴだってある。

ああ、肌色には水色と決まっている。

どんな水色にしようかなあ。

画廊の水周りは、ステンレスの板が貼られていて、今売りに行けば、ちょっとお高いというムード。

そういえば、東京藝術センターの前に置かれていたステンレス製の「おばけえんとつ」とかいう巨大な金属のオブジェは、見当たらなかったけどなあ。

まさか、盗まれたってこともないと思うけど。(巨大なので)

アタシは、ステンレスの板のことが気になっている。

銅版を打って、造形を作るようなスタイルの品ものがあるけれども、ステンレスっていうのは、難しいだろうなあ。

堅そうだもんねえ。

屋上に、カサ・バトリョみたいな像を置くっていうのはどうなんだろう。

猫でいい。猫が、下を覗いているような、そういうオブジェのような品を作れないだろうか?

そんなことを考えながら、ステンレスをトンカチで打って造形を作ろうと思うと、きっと、疲れるだろうなどという気持ちになって、それだけで疲れてしまうのであった。

3.15

叔母が他界し、告別式に参加した。

病院に行った時にはもう末期で、8ヶ月の闘病の末、イロイロな症状を併発して亡くなったのだそうだ。

アタシは、入院していることすら知らなくて、随分と疎遠になっていたものだと思わされた。

明るい人だったので、お友達が沢山来てくださった。

千住の清亮寺(せいりょうじ) のお坊さんが、横浜の斎場まで来てくださって、お別れのお経をあげてくださった。

長男のお嫁さんということもあり、随分と前に天国に旅立ったお嬢さんもそのお墓に入っている。

命日には、毎月花を持って墓参りに来ていた叔母であった。今頃、天国についたであろうか?

清亮寺(せいりょうじ)は日蓮宗のお寺で、お坊さんは、「日蓮様が、極楽までの道を手を引いてご案内してくれますから、皆さんも、経を唱えるなどし、無事つけるように見送ってあげて欲しい」などいくつかの話をし、遠い道のりを帰られた。

死とか、葬式とか、闘病生活とか、そういうことを考えなければならない年になったのだと思わされた。

個人的な事情を言えば、喪服が入ってヨカッタという安堵。

喪服用のコート、喪服用の靴などを取り出して、並べてみる。そうして、葬式のためだけに買われたこれらの品についても考える。日本人の常識というヤツである。

父の兄弟は仲が良くて、よく集まる。

もう何年も会っていなかったので、叔父も叔母も年を取ったなあという素直な感想。

従妹はみんな母親に似てきて、遺伝子というのは恐ろしいものだと思わされた。

小さい頃は全く別の顔をしていたのにねえ。

行きは母と待ち合わせて横浜まで。

帰りは埼玉に住む叔父・叔母と三人で帰ってくる。

叔父さんは、時計会社を立ち上げた男で、ある時代を作り上げた人だと思う。

今は、一線を退き、風速計などの開発をされているのだという。

時計のムーブメントなどの特許を果てしなく持っているらしい。

帰路の電車の中では、時節柄決算の書類の作り方の話などで盛り上がる。笑。

話題がマニアックだよなあ。

叔父は800人もの社員がいた会社で役員をしていて、会社の内部留保の資本金がある時に会社の解散を決定、

社員それぞれにそれなりの退職金を支払ったのだという話になる。

そのあとは、(機械の開発が出来るので)1人で依頼された品物の設計や、試作品を作るなどの仕事をボチボチとやっているらしい。

最近は、簡易トイレ、水がなくても、糞尿を完全に乾燥・粉末化させる機能がついている品を開発したらしい。

「趣味が仕事のようなもので、今でも仕事ばかりしている」

などと話していた。

1人でやると覚悟を決めたのだから、1人でできることを、コツコツとやらなければならない。

そういう話である。

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