◆◆◆ 825 ★ 鬼怒川へ ◆◆◆

2007.1.3

正月なので、家族と鬼怒川に行く。

父親は、晦日から飲みまくり、2日には、ヘロヘロで電車内では顔面蒼白状態。

2日、3日とほとんど酒も飲めないほどの後遺症。

飲みすぎだぜ。

あんなに具合が悪くなるまで飲むというのもスゴイし、ヨロヨロしたり、倒れたりしながら、家に帰り着くというのもスゴイよね。

よく今まで死なないで生きているというのが、娘の素直な感想である。

宿では駅伝とか、忠臣蔵なんかを見て過ごす。

忠臣蔵の筋というのは、今考えればテロリスト的脅威。

世の中、何が正しいのか解らない。

明智光秀ときたら、ホントウにあんな展開にしていいんだろーかという脚色し放題。

まあいいか。

テレビなのだから、多少のウソが混じっているのは当りまえ。見る人が楽しければそれでよい。

鬼怒川を散策したが、廃墟となった建物もいくつも混在し、ホントウに驚いた。

ネットカフェの一つもなく、外人も見かけない。

2日はまだ人がいたように思えたけど、3日ともなると、ガラリとした感じ。

どうすれば、この観光地は良くなるんだろうと考えながら、半日ほど、街を散策する。

6つの宿で、地元の作家さんの陶芸品や手工芸品を展示するスタンプラリーがあり、イロイロな宿に無料で入れるし、コーヒーもタダで飲めるので、回ったということもある。

メインの道と思われる場所だって、どうという土産物屋もなければ、名物というものも見当たらず、この先、ホントウに大変だよなあと思えてくる。

メイドカフェ付きの、萌え萌えのお宿とか作れば、大量に人が来るかもなあ。笑。

宿のステージでは、月に向かってお仕置きよスペシャル劇。卓球場では、メイドがピンポンの相手をしてくれます。

いいねぇ。

他に、起死回生策はあるのか?

あんなに沢山の大型ホテルが廃業していて、あの建物とかを一体どうやって活用するんだろうか?

日本中の捨てられている美術品を集めて展示したらどうかねぇ。

スゴイことになるよなあ。

温泉のアルカリ分で、建物も数十年でボロボロになっちゃうぐらいだから、絵なんかも、きっと、すぐにダメになるんだろうなあ。

ブロンズ像は錆だらけとかね。

それでも、捨てられるよりはマシである。

あの部屋という部屋の家具を取り払い、芸術家に賃貸するという感じ。1年3万円ぐらいで、1部屋を展示スペースとして貸し出すと、結構借りる人いるかもなあ。

大規模なゲンダイアートの展覧会なんかの会場にしてもいいと思う。

駅から至近でも、廃業されていた宿もあったし、廃材も使い放題的空間。

ついでに、創作者の宿泊スペースも安価に貸したりしてイベントができるんじゃないかなあ。

そんなことを思いながら、そういう日はきっと来ないのだろうと、ハートの石を拾うのだった。

母と、近所のおばさんの会話は、80%は愚痴か文句、15%は家族の話、5%は、健康についてという話題。

人生というのは、不満だらけなのだと思わされる。

不満というのは、いくら話しても尽きることは無い。

私には、彼女達から、文句以外の話を引き出すことはできなかった。

こんなに幸せそうに見える家族でさえそうなんだから、世の中には、もっと不満が蔓延しているに違いない。

そうして、そういう不満というのは、満足に変わることもないのかと思うと、この先ホントウについていないよなあと思うワケなのよ。

それと引き替え、何物かを創作するというのは、なんて幸せなことなのだと、自分の選んだ道に感謝する。

どんなに恵まれていたって、そのことに気づかなければ、前に行った旅館の料理の方が旨かったという話で、毎年正月が終わってしまうからである。

アタシは、家族の愚痴に口を挟みながら、まだ出来上がっていない年賀状の小口木版を彫る。

試し刷りができるように、バレンとインクも持っていけばヨカッタよなあ。

画材店も鬼怒川にあるはずがない。

だから、画家も鬼怒川には行かないよなあ。長期に滞在し、絵を描くなど物理的に出来ないもの。

版木は概ね出来上がったが、刷るのはもう少し先になる。そういうことになる。

年賀状お待ちの皆様、もう少し待ってね。

というかさ、来年?

そうして、出来上がった版を見ながら、この年賀状はもらっても嬉しくないに違いないと思うワケよ。

はぁ。

画家になる日は遠い。

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