◆◆◆ 796 ★ 創作するということ-2 ◆◆◆

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2006.11.27

現代美術館で展覧会をしている大竹さんと、横尾さんのことを考えてみる。

売れっ子商業デザイナーから、画家に転身。

というのと、美大の落ちこぼれ→酪農生活→世界を放浪して廃材で創作。

という人生の違い。

大竹さんは、2000点もの作品で、現代美術館で展覧会をやるのだそうである。

あらゆるジャンルの作品があり、(テレビで見る限りではあるが)その作品の幅の広さというのには驚かされた。

アタシもイロイロな画材で作品を作るほうだとは思うけど、彼の作品は、廃材メインというのが好感度高いよなあ。

でもまあ、廃材で作ったときにいつも思うことは、完成度がイマイチって所かなあ。ビミョーに汚いんだよね。ゴミだからさ。

その点、安元さんの作品なんかは、廃材なんだけど、美術品という老舗画廊レベル。

廃材をここまで昇華させ、結構な値段で売買されているという実態には勇気付けられる。

この人、誰なんだろうなあ。

そうして、大竹さんも、あんなに大規模に展覧会を展開できるワケだから、それなりには売れている作家さんなんだろうというムードで、一体、あの作品はいくらなんだろうと思ったりもする。

素描をテレビで拝見したけど、筆ペンでサラリと描いた牛の絵には、本当に引き込まれた。

ああいう系(→筋系)の素描を売って、結構収入を得ているのかもなあ。失敗しないでサラサラと描けると、儲かるもんなあ。

もしくは、美術館の展覧会と連動して、画廊が小品を売るのかもしれない。

まあいいか。

2000枚もの作品を展示するというところが、もう巨匠。

アタシなんて、50号が一枚あるきりなんだもん。

もう少し、大作も描かないとイカンというのだけは理解できた。

美術番組というのは、見ても見ても、まだ見足りなくて、イロイロな作品に触れ、イロイロな考えが流れ込んでくる。

どの方向に進むのかというのだけは、自分で決めないといけないということになる。

地方に住んでいる画家さんというのは、作業場が広くていいよなあ。

都会の建物ときたら、壁は安い石膏ボードという場合が多くて、壁面があるのに、絵も掛けられない。

グラフィックデザインの仕事なんかをしていると、絵だけでは収益をあげるのはムリというのが理解できてくる。

最低でも、DTPデータに加工できる技術が無いと、仕事を取りようが無い。

イラストのお仕事なんかをさせていただいていると、イラストレーターの方と友達になれる。

ほとんど全員がHPを持っているし、メールもできるし、DTPでデータ入稿ができる。

メールができて、HPで画像加工の知識があれば、DTP加工まではあと少し勉強すれば手が届くということになる。

画家の知人ときたら、パソコンに触ったことも無いという人だって多い。

そりゃ、誰か教えてくれる人がいるとか、会社でやらされたとか、少し習いに行くということでもなければ、自力で操作できるようになるというのはあり得ないというのも解る。

でもなあ。

もし、イラストレーターと画家との違いを述べよと今言われるのであれば、イラストレーターは、画家よりも、機械に強いということかなあ。笑。

それは、自発的な話ではなく、彼らはそっち方面でも努力したということに他ならない。

もし、DTPでデータ入稿できないイラストレーターなのだとすれば、近々、出来るイラストレーターにシフトしていく傾向である。

作品を、例えば、手で描いたとしたって、写真撮影やスキャニング、画像をつなげるという作業、そうして、それを、印刷用データに加工する作業。

ここまでは、自分で出来ないと、仕事は取れないということである。

そういう意味で、デジタル時代のイラストレーターさんというのは、本当に頼もしい。

画家の方々と比較すると、全くもって、金を稼いでいるという所だけでもスゴイ。

そういう話になる。

でもまあ、作品を販売するという話とは違う。

原画の販売は、CGは厳しいよなあ。ムリと言っても過言ではない。

嫌、まあ、売れるかもしれないけど、安いって話で。

それでも写真なんかよりは、売買される可能性はあるよなあ。

写真って、タダでもらうもんだもんなあ。

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