◆◆◆ 780 ★ 秋の予定 ◆◆◆

最近忙しくて更新できないので、オヒマな方は、作田センセイのサイトから行ける、

ブログ・ユトレヒト通信を読むように。

2006.10.19

雑誌の表紙イラストは、来年からは違う人になるという話しもあったのに、また継続することになったらしい。

アタシにしてみれば、イラストの仕事というのは、引き受けたときから、必ず終わりのある仕事だという覚悟ができているので、まあ、どちらでも構わない。

前面だった絵の扱いは、ビミョーに毎年小さくなってゆき、来年は、6センチ角程度の大きさにまで縮小される。

ホントにイラストは必要なんだろうか?

まあいいか。

アタシはどちらでも構わない。

テーマに沿って、イラストを描くというのは、実は、物凄く構想力とか、絵に意味を持たせる訓練になり、絵以外の力がどんどんとアップしてゆくということに他ならない。

プロというからには、どんなテーマであっても、それなりの絵を完成させなければならないということになり、ある程度、発注者に気に入られないと次の仕事は別な人に流れていしまうということである。

忙しくて展覧会にも行けずにいるが、何とか、ピカソとモディリアーニは見に行こうと思う。

ルソーもチケットをゲットする。

楽しみだぜ。

柄澤先生のも鎌倉に来るらしくて、それも是非みたいよなあ。

それから、大工さんに、国立博物館の仏像展に誘われたので、それも行くことにする。

最低でもそれだけは見たいよなあ。

松涛の石踊りさんの展覧会は、先週の日曜日で会期が終了してしまい、残念な気持ちでイッパイになる。

ヤギ姉さまの展覧会も始まるし、忙しいぜ。

秋といえば、展覧会の季節なんだろうか?

ご案内多数。風司さん、公募展覧会のご招待状ありがとうございました。

いけるかどうかは未定ですが、なんとかガンばりたいです。

どんな展覧会にも、目的があり、主催者の思いというのが伝わってくる。

ピカソとモディリアーニ展はなんとか足を運ぶことができた。

よい展覧会であった。

日曜美術館展と比較して、何て自由なんだろうと思わされた。

同じ時代の絵とは思えない作風の違いに驚かされる。

日本人は、一体、西洋の絵画から何を学んだのか?

印象派の画家たちのテレビ番組などを繰り返し見ていると、画家達が、互いに影響をしあい、独自の世界を模索しはじめた話ばかりにぶち当たる。

その道は、サロン改革にこだわり続けた人、絵を破壊する方向に進むもの、独自の人物像や風景を描き続けた人の3タイプに別れ、1960年代には、作品作りから離れた、観念的な創作活動者が出現することになる。

公募展に並ぶ、大きな絵の中を通り抜け、創作とは何か?ということを考えるのだが、その中に答えはない。

区役所のポスターのデザインも一本完成し、印刷も終了したという電話を頂く。

文字の間違いが無く印刷が完了したというのが、本当に安堵の瞬間である。

デザイナーには向いていないよなあ。

まあいいか。

デザインであっても、絵画作成であっても、目指すべき場所の究極は同じはずなのである。

その場所を手に入れられるかどうかというのは、誰にも解らない。

それだって、公共ポスターを手がけることができる人というのはごく僅かであり、私は、自分の幸運に感謝するだけである。

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