◆◆◆ 768 ★ 展覧会情報 ◆◆◆

2006.8.29

イラストレーター協会メンバーの池乃さんが、上野の美術館の公募に入選したというので見に行った。

げげっ。入賞しているではないか。おめでとうっ。

賞金とかでるのかなあ。

日図創作図案総合展という展覧会。

池乃さん情報によると、テキスタイルのデザイン展だとか話されていた。

テキスタイルかぁ。

そういう展覧会はまだ見たことがない。

入場料500円を支払おうとすると、受付のオババは、「本当に金を払って、これを見るのか?」という怪訝な顔。

招待客しか来ない展覧会の典型である。

あれだよなあ。そういう話なら、入場料は無料にするべきなんだよなあ。

写真撮影禁止の札。写真撮影禁止の公募展ははじめてみる。

プロだからさぁ。

展示されている作品は、フトンあり、服地あり、着物の柄、帯、襦袢、カーテンなど多彩。もちろん、それ以外の文様もある。

技法はといえば、全く自由な展覧会。

コラージュ、筒書き、染色、ドローイング、CG、実際の着物を撮影した写真などなど。

何よりも、表現の自由さに驚いた。

作品作りに、決まりはない。

金になっている作品というのは、やっぱ、そこから出ているオーラが違うよなあ。

地階では、同時に日曜画家展(入場無料)が開かれていた。

おおっ。なんというレベルの低さ。笑。

でもまあ、日曜画家なのだからこれでよい。

素直に描かれたその作品たちは、どれもヘタクソで、動きのみじんもない絵である。(かろうじて透明感はある)

それでも、描く喜びに溢れていて、絵というのは素晴らしいと思わされた。

絵を描いている時間というのは、至福の時間である。その楽しみを誰にも奪うことは出来ない。

画材会社は、一番のお客様(コア・ターゲット)の展覧会にこぞって賞を出す。

展覧会というのは本当に奥深い。

日曜画家から抜け出すには、絵をもっと動かして、独自の世界が結果に出ていなければならない。

たったこれだけなのに、多くの画家はそこから抜け出せない。

何故抜け出せないのかといえば、金になっている作品を見ている量が少ないからである。

日曜画家の絵ばかり参考にしていたのでは、いつまで経っても、日曜画家のままでおり、その絵は売れることはない。

が、それはそれで良いのだと思う。その人は売る必要もないのだし、抜け出す必要もない。

そこから抜け出て、自分にしか描けない絵を描きたいと思った日から、その人は画家になるのである。

この後、不忍画廊に行き、随分前に予約していた作品の代金を支払う。

イロイロあって遅くなってスミマセンでした。

いやぁ。ウチの経済状態は本当に逼迫していた(上に、藝大の公開講座の授業料などがあり)のだが、困難な時期を乗り切った。

まだ貯金などは出来ていないが、生命保険には入ろうなどという話。笑。

これから、また、お金をコツコツと貯めなければならない。老後という言葉の中には不安が混じる。

老後ではなく、心配なのは、老中だよなあ。

老後に待っているのは死だけである。

オジャラは、アトリエ用に、気の効いたコーヒーカップを買いそうになり、心を落ち着けようと、店内を物色していたら、ヤバイ筋の品を見つけてしまい買うことに。

前から欲しい、いつかは手に入れようと思っていた人の作品である。小さなシミがあるため激安。

アタシのコレクションも充実してきたぜ。

おほほほほ。何を買ったのかは教えてあげないわ。(払いは次回!)

藝大の北郷センセイに、「陶芸釜を買うように」という指示を出されたオジャラ。

「20万円ぐらいで、電気釜売ってますから」などという助言。

家でも作れというアドヴァイスなのだと思う。

電気釜を物色する。最低でも、焼くスペースは、30センチ四方は欲しい。

それくらいあると、単価を上げられるし、ちょっと大きい皿や丼も作れるので、人に貸せるからである。

43万円が、バーゲン価格で33万円、設置費込みかぁ。

これがいいなぁ。

頑張って稼がないと。

それから、文化村ギャラリーで開催されている、新鋭の作家さんたちの展覧会を見に行く。

イラストレーター協会の交流会というのがあり、会長さんとギャラリーで待ち合わせる。

会長さんは、「ここは、いくらぐらいなんだろう?」などと、物凄い感心が高い。

協会メンバーをもっと、世に出したい。そういうためには、良い場所で展覧会をする必要がある。

そういう世界なのである。

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