◆◆◆ 730 ★ とある事件の話 ◆◆◆

2006.6.27

人生というのは短いもので、もう、27日になっている。

金が尽きてきたので、手持ちのドルを円に換金しようとしたときの話。

某銀行にて、「この番号のドルは、弊社では両替できません。」

という応対。

何でも、偽マネー発見機などには、ホンモノとして通る程、精密に作られたニセ札の番号と類似していて、市場にも大量に出回っている品らしい。

5枚中3枚がその番号(番号は同じではない)であり、束でもないのに、そんなに同じ番号が揃うということは、現実にはありえないという状態。

バリ時代、ルピアを外国通貨に両替して持ち出す必要があったからなあ。

まあ、私たちが、利子で稼いだ額などを勘案すると、別に、痛くもない金額だが、300ドルだもんなあ。

あのときには、現地の怪しい人々に家具や車を売り払ったらして、イロイロなところから、金が入ってきたんだよね。

バリ島に住むというのは、帰国後3年過ぎても、こちらばかりが、まだ、一方的に損害が続くという意味でもある。帰国してヨカッタぜ。

個人的な感想としては、外国での両替には、ニセの危機はいつでもあるものだし、ま、この程度の被害でヨカッタという話でもある。

去年の、ニセ為替事件といい、昨今の、ネットワークソリューションの応対の不便さや、テレカが国外にかけられないなどの、生活環境の悪化を考えても、いかに、不正が多いのかという実態の裏返しでしかない。

ネットワークソリューションに登録していると、イロイロな外国の企業からのメールを受け取ったりもするのだけれども、どれもうさんくさいと思えてくる。

巧妙な広告だったりもするし。

もともと、誰かを信用しているということでもないが、外国で絵を売ったりするのは、身分不相応なのかもしれない。

池田満寿夫も、著書の中で書いていてた。

外国のエージェントと契約し、外国での販売チャネルを持ったつもりでも、結局は不信感のようなものが募り、破綻したり、精神的に疲れたりということが多かったということのようである。

身分不相応な人生を思い描くというのは、人間の、根本的な欲求の一つである。

別に、それが悪いということでもないが、ムリをして、自分の人生を破綻に追い込むことも無い。

銀行筋によれば、(ニセも多く混じるが)市場では流通している通貨だし、弊社以外では換金できる可能性が高い。(ニセドル感知器へは本物として通るので)国内であっても、円に換金できる場合も多いだろう。

という話である。

まあいいか。

要するに、ニセかどうかは、ハッキリとは解らないということなのだ。

タイでは問題なく使えたわけだしねぇ。

万一、それがニセだったとしても、それは、インドネシアに住むということのリスクの一つであり、何百万円も換金したうちの数万円と考えれば、そんなに多い額だったということでもない。

滞在中の諸損失の分を利子でカバーしても、まだおつりが来るくらいの利子額にホクホクしていた位だから、まあ、そのお金をゼロ金利だった日本に預けていたと思えば、腹はたちもしない。

アナタは知らないだろうけど、アタシたちのような、リゾート型滞在でさえこんな金銭トラブルがあるのだから、商売などで、大きいお金を動かしている人たちは、もっとご苦労をされているはずなのだ。

知人が、とある国(英語圏)の知人の話をしたときにも、「●●人は、自分の損になる付き合いはゼッタイにしない」と話していた。

損得で誰かと付き合うとか付き合わないなど、いちいち考えているこちらも、本当についていないのだと思わされる。

異国の文化や生活習慣、自己表現の違いというのは、全く受け入れることができず、お互いは、折り合うということもない。

とりあえず、換金できるところで、少しずつ換金しようという戦略にシフト。

最悪、タイとか、台湾なんかで両替することに決める。

国際化人間というのは、人間不信との戦いなのか?

まあ、ニセと判明して没収されるよりは、現地で利用できるのであれば、その方が金にとっても有意義である。

実は、バリ島でも、同じようなことは一度あった。

1996年の通貨は、換金できないという話である。

それは、どうも、その頃ニセ札が出回ったということが理由のよう。

タイでは全てが問題なく使えた。笑。タイって一体?

誰にも、本物かニセモノかを見分けることができない精巧な「ニセかもしれない札」って一体なんだよっ。

そうして、とりあえず、そのお金は、また、貸金庫に保管されることになる。はぁ。

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