◆◆◆ 725 ★ あいみつ・アンリカルティエ ◆◆◆

2006.6.14

あいみつは、漢字が出ないので平仮名で。

きっと、こちらで出ても、ネット上では文字化けする可能性アリ。

あい川光郎さんというのの略称で、本名は別にあるのだそう。(「あい」という字は雲愛と一文字で書く。)

人の画風を物凄い短時間で自分の絵の中に取り入れることができたのだが、自分の絵が描けなくなり、苦悩したなどと番組では言っていた。

映像の記憶能力とか、平面への表現力に長けていたのだと思う。

そんでもって、結局、蝋とか、クレヨンを熱し、絵の具に溶かしながら絵を描くようになって独自の世界が出てきたが、こんなのを描いてもダメだと思ったらしい。

なるほどねぇ。

やはり、絵の具に、絵の具以外のモノを混ぜると、独自の世界を出しやすいというアタシの研究結果は正しかったぜ。笑。

いい絵を盛んに描こう。いい絵を描いていれば、天は助けてくれる。

彼はそういい残し、39歳で戦地に消えて帰国することはなかったという。上海で病に倒れ、最後は餓死同然の死だったのだそうだ。

彼は広島県出身で、彼の絵のほとんどが、原爆で消失してしまったらしい。

ついていない画家であった。

こうなると、自分の作品をどんどんと手放して、日本各地に散らばって保管してもらう方が、生きながらえる可能性が高いということなのかもしれない。

テレビ番組というのは、イロイロなことを教えてくれる。

残された数点の彼の絵をいつか見る日が来るだろうと思う。

その後、アンリ・カルティエの写真の番組を見る。

瞬間表現の極みであり、面白さがあり、これが写真というものだと、大いに唸らされた。

彼は、物凄い速さでカメラを目にもってきて、風のように撮影するのだそうだ。

被写体に頼んだり、何かのポーズをとってもらうということは一切無く、カメラを持ってブラブラと歩き回り、自然な風景や人物を撮影し続けたのだという。

たった一回だけ、その瞬間を待った写真というのがあり、その写真というのは本当の写真芸術だという作品であった。

写真家というのは、いつも大変だなあと思う。

そうして、彼のような写真家が何故少ないのかを考える。

どーしてだと思う?

彼は画家を目指していた時期があり、そのときに、イロイロな事を学んだはずなのである。

そうして、撮影する側が、たいして瞬間表現や、画面の面白さ、構図というのを考えないで撮影している人ばかりなのだろうという考えに至る。

どんなに頭で写真のことを勉強しても、根本的なデザインのセンスの持ち合わせや「芸術とは何か?」について考えながら撮影している人は少ないってことなのかもしれない。

滅多にお目にかかれない、「決定的瞬間」を面白く切り取れるから、写真家なんだよなあ。

この、「瞬間を面白く切り取る」というのは、芸術表現全てに共通する最重要事項。(←アタシ的にはよ、アタシ的。)

だから、俳句も芸術なんだよねぇ。

そうして、全く動きの無い自分の絵を、ブチ壊したくなるぜ。動きはなかなか手に入れられない。

今日は、白い縁の額縁でも作ろう。

そう思い、白いペンキを取り出す。

ハンズで21円の端材も買い、ポストカードサイズにカットして、白く塗る。

小さいサイズの油彩は人気で、すぐに売れてしまうので、これを作ろうというワケである。

今までは、カンバス代300円程かかっていたが、これが、7円に節約できる。笑。

その外、ペンキ代(償却済み資産)、絵の具代ということになる。

あとは、額縁ね。

額は、100円ショップの品を3枚使うので、315円かかる。

絵の具代を200円と計算しても、522円ってところだな。ハンパだぁ。

これを1万円で売ろうというのだから、売れなくても仕方が無い。

そういえば、Oギャラリーの1万円均一セールというのがあったよなあ。あと、額縁屋のオヤジが売っていた、三越額付油彩1万円均一というのも知っている。

一万円均一って、どーよ?

注)オジャラの個展は、一万円均一ではありません。念のため。

日本には小さな絵が似合う。

テーブルの上や、テレビの上に置ける、小さい作品でも、あると本当に嬉しくて、心が優しくなる。

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.

Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.