◆◆◆ 720 ★ カルティエ財団コレクション展、熊谷守一展 ◆◆◆

2006.6.6

今日は、カルティエ財団コレクション展へ。

現代美術館は、どうも、気合がいるんだよね。(駅から歩くの)

それに、どんな展覧会か、全く不明。

でも、行って納得。

現代美術館だからね。笑。

現代アートだったわけよ。

入館料1500円がどうかといわれれば、まあ、それくらいの値段は取れる展覧会だと思う。

常設コーナーで展示されていた、昭和の絵画展も同時に閲覧できた。

カルティエ財団コレクションは、カルティエが設けたお金で集めた、現代アートのコレクション。

壮大なコレクション群には驚かされた。

そうして、嫌な夢を見そうな作品とか、人間でありながら異常な世界(ミノ族の、シャーマンと狩人による宗教儀式のムービーとか)、人種問題を考えさせられる作品、ある種の記憶に残る作品が並び、その幅の広さに感服。

アメリカ(カルティエの財団はフランスにあるのかもしれないが、詳しくは関心外なので、間違っていたらゴメンの場合、企業の納税を、アートによりできるという法律があり、税金の何パーセントかを、アートの収集に当てている企業が多いの。か

税金を払う位ならなら、若い芸術家を育てよう。とか、美術館などを作り、好感度をアップさせよう。

みたいな世界。

当然に、印象派の絵などを何億も出して買うよりも、若い現代アート系の、ゴミみたいな値段の作品をいくつも買うほうが、コレクションとしては賑やかになるし、マーケットも活性化する。

まあそういう話になる。

同じ金額で、500個位買えちゃうもんなあ。

企業は、当然に画家などよりもプロモーションが上手くて、展覧会に応募された優れた作品を、安く買い上げるという収集方針。

そうやって集められた作品たちだという話になる。

いやぁ、嫌な夢見そうという作品は、本当にいくつかあり、子供は泣き出すし、親は1500円を回収しようと必死に説得するしという世界。

現代アートを見ていて不思議に思うことは、強烈な印象を持つ作品に触れた後に、平面のありきたりな作品などを見ても、何の感動も得られなくなっているということである。

心の動きというのは、本当に理解し易く、私は、もう平面に戻れないんだろうかという気にさえなってくる。

嫌まあ、金になっているのは、実際平面以外にはあり得ないので、当分は金のために作るとは思うよ。

でもね、なんとなく、創作活動の面白さというのは、現代系の方が上という気がしている。

でも、日本では活躍するのが辛いだろうなあ。

現代アートのコンセプトが理解できた人だけが、作品を作れるわけでね、日本には、まだ、優れた作品を作れる人が少ないということを意味している。

画壇のセンセイが(平面で)あんなに頑張っているし、みんな仲悪くて自分のことで精一杯だし、現代アートは認めない人ばかりで、日本画の人は、まだ花鳥に留まっている。

たはは。

変化を好まない日本人体質というやつで、それは、もう何百年も続いているのだから仕方ないという気持ちになる。

作品を創っている人の方が、現代アートに対する抵抗感が強いとさえ感じることがある。別に、良いとか悪いとかいう話ではない。

理解できない部分に、自分の作品が及ぶことがないという実体だけがある。

カルティエの後、熊谷守一美術館に流れる。

心が癒され、優しい気持ちに包まれる。

150号、描くぜ。(←突然の飛躍)

日本には、日本で活躍するために必要なアプローチがあるということなのよ。

そうして、そのためには、何年もかかるというのが理解できたので、150号はその第一歩ということになる。

どこで描くよ?実家かなあ。

はぁ。

とりあえず、木枠を買ってこよう。

それから、布も買わないといけないかもなあ。今持っているのは、100号がギリギリだもんなあ。

毎年、2枚を目標に、大作に挑むことを決意。

画家志望なので、避けては通れない道である。

そうして、その合間に、小品を作って絵の具代を稼ぐ。

画家になるというのは、そういう話なの。

ある程度、こちら(平面)で稼いで、現代アートも作る。

今の所考えられるのは、そういうアプローチだよなあ。

何を描くかなあ。

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