◆◆◆ 718 ★ ムナカタシコウ、イサムノグチ展 ◆◆◆

2006.6.6

横浜方面を攻略。

久しぶりに棟方志功の版画を見る。

この前の、生誕100年展などよりはずっと落ちるが、それでも、見たことの無い作品が並び勉強になった。

もう何度も彼の版画を見ているけれども、見ないという選択はない。

そうして、いつ見ても、そのスピード感のある版業に驚かされ、その数量に圧倒される。

もちろん、全てが良いということでもないが、湧き出てくる創作意欲というのは、止められないのだというのが理解できる。

その外、手書きの水墨画も何点も出ていて興味深かった。

民芸運動の柳は、棟方の水墨画について、「良し悪しの差が大きいが、良いものは素晴らしい」というような批評を残している。

芹沢ケイスケによる表具デザインや、河井寛二郎の陶器製の表具の棒などとのコンビネーションも素晴らしい。

柳起案による棟方版画の表装は、簡素なんだけど、実のところ贅の極みでもあり、集まるところには、集まってくるものなのだと思わされる。

平山郁夫の作品の表具が、1号9000円という話を聞いたことあるけどなあ。(←作品じゃなくて、表具代よ。表具代!!)

アタシなんて、たぶん、1号9000円切ってるんじゃないかなあ。

たはは。ということで、計算してみることにする。

F4の価格設定が本体価格(額無し)で30000円なので、

(333x242)=80586平方ミリ

一号は、ハガキサイズということにすると、

100×150=15000

F4号は、

80586÷15000=5.3724号ということになり、

30000円を5.3724で割ると、1号当たりの値段が出る。

5584円。

安いなあ。

まあいいか。

例えば、SMサイズだと、号いくらかといえば、

(227x158)÷15000=2.391

SMは15000円なので、

15000円÷2.391号=6273円

ということになる。小さいサイズは、ちと割高かなあ。

号当たりの換算だと、F3号が一番お得かも。

1号当たりの計算では(だいたいポストカード4枚分位の大きさで)1枚当たり、5000円だからね。

ということで、皆さん、F3号 20000円が、最もオトクということがわかりましたので、これを買いましょう。

みたいなね。額の在庫はもう無いかもしれませんので、近くの額縁屋のバーゲンを狙い、買っておきましょう。みたいな。

アタシの場合、号当たりいくらという価格設定ではなく、このくらいの値段であれば、受け入れられ、購買決定に至るだろうという常識的な価格を元に設定しているので、まあ、今のところの価格は、こんな感じ。

この価格設定というのは、本当によく研究されていて、根拠というよりは、購買心理に基づくものである。

アタシが期待していることは、この程度の値段であれば、絵を求め、私の創作活動を応援してくださる方が、きっと存在するはずだというところにある。

であるからして、応援してくださる方大募集。

おまけ大量です。笑。

私は、気持ち的には、油彩を売りたいので、油彩が販売可能な額に設定されている。

そうすると、他の作品の価格が著しく下がるということにもなっている。

同じ値段で販売したときには、ドローイングや、水彩画などは、全く売れなくなってしまうからである。

私の作品が、他の人の作品と違うところは、油彩の完成度をアップさせるために、その外の作品が習作として作られているというところだと思う。

油彩の筆運びの力をつけるために、ドローイングを繰り返している為、ドローインク゛の完成度は、物凄く低い。

例えば、ボールペンで描いて、水彩で色を塗ったりすれば、かなり見れるのだけれども、それでは、いつまでたっても、それ以上の絵は描けるようにならないので、その技法は卒業し、もっと、良い線が出せる、難しい画材にシフトしているということになる。

であるからして、物凄く完成度が低い素描が大量に出来てしまうのだ。

自作のペンでの描画も、多少は安定してきているが、心が行き届いていない部分が明白になり、自分の力の無さに打ちのめされる。

もっと良い作品にしなければ、画家にはなれない。

力をアップさせるためのカリキュラムを自分で作り、作画を進め、その作品の力の無さを受け入れ、もっと良い線にしなければという気持ちだけが、なんとか自分を支えている。

でも、そんな練習を繰り返していると、いつの間にか、油彩の細部の描画などが出来るようになっていて、飛躍的な作品レベルの向上に驚かされる。

習作のドローイングであっても、中には良い作品もあり、そういった作品は、捨てずに、絵の具代の足しにしようと、安価に販売している。

まあ、そういうことになる。

絵を大量に見ている(もしくは描いている)人なら、素描を見ただけで、その人の画力を見抜くはずである。

そういう世界なのである。

絵を描いている人に、「この絵は、自分には描けない」と思われる絵にならなければ、素人が、「この絵が欲しい」などとは思わない。

そういう実態がある。

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