◆◆◆ 681 ★ 絹谷幸二展 ◆◆◆

2006.4.22

そうして、ヨロヨロとしながら、やっと、日本橋ミツコシまで歩く。

絹谷さんの展覧会は、ずっと気になっていた。

ヤギ姉さま情報によると、絹谷さんも、手塚さんも芸大教授で、今回は、日本橋デパート対決なのだそう。

なるほどぉ。

ミツコシ VS タカシマヤ

壁画 VS 日本画

独立展 VS 院展

という世界。

アートの世界は、デパート競争にまで発展しているのかぁ。深いわぁ

やっぱ、教授クラスになると、戦い方も違うよなあ。白い巨塔のことを少し思い出す。

やっぱ、芸術系は、病院筋とは戦い方が違うとも思わされる。

病院系は、金の話になると病院の資金ぐり同士の戦い、芸術家は、デパートでの売上げ次第って話なんだろうか?あるかもなあ。(アタシの個人的な推測で、科学的根拠はありません。念のため。)

「色彩の巨塔」とかいうドラマのシナリオくらい書けそうな気分になってきたぜ。

資金的には日本画圧勝なんだけどさ。(見る前に勝利は確信)

それ以外の話としては、所属の画壇により、それぞれの派というのがあり、お弟子さんがみんな押しかけるという構造らしい。

でもって、お弟子さんの数は、やっぱ院展の勝ちだろうとか、絵の大きさでは絹谷さんだろうとか、全く滅茶苦茶な基準で、イロイロな比較をされていて、世間の評判というのは、無責任なものなのだと思わされる。

ちなみに、受付に飾られていた蘭の花の数は、絹谷さん勝利。

手塚さんは自宅に届いているのかもという個人的な推測まである。笑。

アタシにしてみれば、どちらも芸大教授だということすら知らなかったので、ヤギ姉さまが私に与えてくれる情報というのは、本当に驚くべき筋である。

絵を見るのに、芸大の教授かどうかというのは、全く必要の無い情報でしょう?

展示されている作品が、全てを教えてくれるからである。

が、芸大教授だという情報を得た途端に、「おおっ、さすが芸大教授の作品は違うねぇ」と感じたり、「彼等は芸大教授なんだよね」などと口に出して、知人に説明したりもしている。人間とは解り易い。

なるほどねぇ。

生きている作家さんがデパートのミュージアムで展覧会をするというのが、どういうことなのか?

(そういう意味では、生きているか死んでいるかも知らなかった。絹谷さんは、生きている人だというのを知っていた。絵が新しいからさ。手塚さんは、名前を聞いたことも無かったぜ。)

一般の美術館は、死んだ作家さんがお好きみたいで、近代美術館を除いては、死んだ後に展覧会が開かれることが多い。

生きている間に、取り上げてあげれば、きっと、貧乏から開放され、少しは、華やかな場所にも取り上げられたかもしれないのにねぇ。

そう思うと、学芸員って、見る目がないよなあと思わされる。

10世紀の壷よりも、今生きている、ホンモノの作家さんを世に出すことに金をかけてあげて欲しい。

とまあ、個人的にはそう思うわけよ。

でもね、彼らは口を揃えて、「私の美術館は、そういう場所ではない。素人は勘違いしないで欲しい。」などとキッパリと断言する。

「どーいう場所ならいーんでしょう?」と聞きたい気持ちでイッパイになる。

勘違いしているのは、アナタたちだぜ。

まあいいか。学芸員の勉強不足を嘆いても、自分の作品が美術館に収蔵されるということでもない。

絵を描いている当人と比較すると、学芸員は、画家と比較して、情報量で圧倒的に劣ってしまう。

趣味だとしても、専門の分野の作品を自分が作ったりするだけでも、理解は一気に進むのだが、そんなことよりも、不毛な外国の専門書などを翻訳することが自分の仕事だと思っている人も少なくない。

例えば、一つでも画壇に入れば、内情がどうなのか、他の会も、きっとそうに違いない的な、諸事情も理解できてくる。

アタシの場合、イラストレーターの協会なんで、画壇とは全く違う場所にあって、あんまり参考にならないんだけどさ。

ある意味、画壇の人も、イラストを軽蔑しているようなところがあるよね。

「自分の作品は芸術(だけどイラストは芸術じゃない)だから」という理由でである。

それは、学芸員が、生きている作家を相手にしないのと似ている。

まあいいか。

作品を見れば、それが、芸術家かそうでないかはわかるようになってきた。

それが、イラストであっても、絵画であってもである。芸術というのは、それがどんな方法で作られた品であったとしても、同じ場所にあるのだという、単純な話なのよ。

もし、絵も見ずに、「イラストレーターだ」と名乗っただけで、軽く見られるのであれば、軽く見る方が芸術を勘違いをしているということに他ならない。

個人的には、絹谷さん圧勝。

強い色彩で織り成された大きな作品群は、物凄いパワー。

最初の、金箔にうずもれたバラの花は、「ウゲっ。何て品の無い絵なんだろう」という感想。

次の絵はといえば、人物の口から文字が飛び出ている。作品の犬とかラッパからは、「ワン」とか、「ぷー」などという文字が絵に書き込まれているのである。そうして、その絵のことに気づいた私は、もう、絵の中に引き込まれているのであった。

山本容子も、そういう作品(文字入り)を作っていたよなあ。どっちが先なんだろうなあ。洋画でそういう作品を見るのは初めてだけど。

絹谷さんが、山本容子のパクリだったら、驚くけどなあ。

どちらにしたって、そういう画面の新しさがあった。私は、何万枚もの絵を見てきたが、文字が絵と一体になっているのは、この人の絵がはじめてということである。漫画では普通だけどね。笑。

マチエールにも工夫がされていた。顔料を、なんらかの定着財で溶き、麻布に塗りつけてゆくという独自の手法。

その強烈な色彩に、私は勇気づけられた。

クレーの絵を見て、自分の色のトーンを少し落とそうなどと思ったのが間違いだった。

私は、私の色で、私の絵を描けばよい。

絹谷さんの絵は、私にそう話しかけてくる。

激しい絵には、激しい絵が置かれる場所というのがあるということも知った。

彼の壁画は全国に点在し、多くの人を楽しませている。

何年かしたら、ポロリと剥がれ落ちそうなマチエールなのだが、その辺は、壁画作家として、独自の研究をされていて、強靭な画面を持っているのかもしれない。

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