◆◆◆ 662 ★ 与優輝展、アメリカンキルト展 ◆◆◆

2006.3.24

アメリカンキルト展はパッとしなかった。

デパートの版画コーナーで、長谷川潔と浜口陽三の180万円もする版画を拝んだ後、人形作家の与優輝展へ。

最終日で、4時半閉館。

アタシは、4時40分ごろ到着したため、残り二十分でバタバタと拝見する。

まあ、1時間待ちとかだったらしいので、この時間で正解だったのかもしれない。

品のあるお人形さんは、どれも個性があり、見たことがある。

古い布を身にまとい、毅然と直立する人形というのには驚くよね。

そうして、これくらい作れれば、誰もバカにしたりはしないんだろう。

そう思えてくる。

どんな結果を残したのかという事実でしか、誰も評価を下したりはしない。

展覧会に足を運ぶことも無ければ、買おうとも思わない。まあそういうことなのだろう。

有名な写真家と、その息子さんの写真+陶芸展というのに流れる。

客はアタシ一人。

息子さんは、大きなギャラリーで、なにやら店員さんとお話している。

銀座の一等地であっても、その程度ということである。タダで、いい展覧会なのに、何で誰も行かないんだろう?

そう思いながら、銀座をブラブラする。

何だかんだ、イロイロなギャラリーに足を運ぶようになり、ギャラリーで展覧会をしても、赤字になるという事実だけしか理解できない状態。

展覧会をすることが重要なのではなくて、良い作品を作るということが大事ということのようである。

なかなかねえ。

本屋でイラストレーションを立ち読みし、2つ程、興味深い公募展があるので、調べてみようと思う。

本の装丁の公募と、人物系イラストの公募である。

本の装丁というのは、きっと、私に一番合う仕事だと思う。

雑誌の表紙のお仕事や、WEBのカットをやっていて、作品を通したお客様との対話というのが、ホントウに伝わってくる。

なかなか得意な分野の幅が狭くて、他の仕事などとはご縁がないが、村上豊センセイみたいな、柔らかく、動きのある人物イラストというのを練習したいよなあ。

題字もいいし。

それは、あんなに沢山の本が並んでいるというのに、ポっと輝いて、「誰の絵だろう」と、手にとって、イラストレーターの名前を見る瞬間でもある。

よっぽどの事が無い限り、作品を手にとって、ページを開いたりはしない。

ウノアキラは、開かなくても解るし。笑。

日本イラストレーター協会の花見があり、参加する。

区役所の仕事のとり方とか、グラフィックデザインも作れるようになると、仕事が取れるという情報交換をする。

仕事に困っている人も、仕事がありすぎて困っている人もいて興味深い。

仕事というのは、能力に集まってくるという実例のようなものである。

「この人に頼めば、質は約束されているし、」

ということのよう。

作家というのは、そうならなければならないんだよねぇ。なるほどねぇ。

あーたね、野球とか、サッカーのマスコットのデザインをいくつも手がけている人だからね。驚くよ。

よくもまあ、イロイロと作れるよねぇ。

しかも、一人でだからね。汗。

こんなスゴイ人と気軽に話せちゃっていーんだろうか?みたいな花見会。

花見では、アタシが電車の中で描いていた小さいドローイングを皆様に見ていただく。

「バイトをはじめて、絵を描く時間が減ってしまったので、電車の中でも描こうかなと思いまして。」

女性のアタマから、植物が生えて、周囲には鳥と金魚が飛んでいるという絵である。

「ボクは、リアル系ですから、こういうのが描けないんですよねぇ」

などと愚痴られる。

「アタマから、植物をはやせば、すぐですよ。」爆笑。

版画ファンには、「長谷川潔のパクリかよ」などと、相手にもされないレベルだぜ。

仕事を取っているイラストレーターのほとんどは、リアル系と呼ばれ、結構時間をかけて、壮大な作品を作るタイプの人が多い。

正確には、気絶しそうな程上手くて、展覧会のときには、隣に並びたくないという本音まで。

アタシのように、チョロチョロと描いた作風はあまり見かけない。

エキゾチックフェアの下絵などは、サーカスのおネーさんがブランコから逆さで吊り下がっている作品だったため、皆さんにこの絵は一体何なんだ?

などと、聞かれてしまう。

「やっぱ、いきなり逆さで登場して欲しいなあと思いまして。ピエロの帽子からロゴが飛び出ても、仕方ないでしょう?できれば、ちょっと(肌を)露出気味にしたいかなと。」

などと説明すると、バカウケであった。

ウケるところでもないけどなあ。

そういえば、描いている絵のほとんどがヌードだったので、その件についても質問が?

「どーしてヌードばかりなんですか?」

隣の作家さんがフォローしてくれる。「洋服のシワを描くのは難しいし、時間がかかる」

同意。

この程度の発想力を乗り越えて、もっと、あっと言わせるような作品になって欲しいという、個人的、希望的観測。

自分との戦いは、まだ始まったばかりなのだと思わされた。

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