◆◆◆ 657 ★ 長谷川潔展 ◆◆◆

2006.3.19

たいしたことのないデザインだが、ポスターなどになると、驚くほど目立つという確証はある。

絵を描きたいという気持ちも強かったが、岡本太郎展、長谷川潔、丸・三角・四角が、来週までのチケット。

今日しかない。

来週末は、地元のイベントに参加するので、今日行かないと、全部見れないという話である。

そうして、頑張って、全部見ようという計画。

最低でも、長谷川潔と岡本太郎は見たかった。

いつかは見ないとならない作品だからである。

長谷川潔は、横浜出身ということもあり、横浜美術館も力を入れた展覧会であった。

最近出来た、リピーター割引という制度を利用し、ループルの半券を会場に持ち込み、団体割引で入場する。

探すのが大変だったよ。決算書類を整理していたら、出てきたんだよね。笑。

感想かぁ。

叙情的内面的表現。(笑)

アタシ的に言わせてもらうと、瞬間表現に欠如しているよなあ。

これであれば、満寿夫とか、深沢幸雄の方が、まだ芸術性が高いと思うけどなあ。

まあ、格調高さという意味では群を抜いている。

あとは、好みってことなのかもなあ。フランスで半生を過ごし、日本には帰国しなかったらしいので、感性も別な場所にあったのかもしれない。

アタシは、芸術のことは良くわからないが、フランス映画というののほとんどがつまらないことを考えれば、別に不思議はないのかもしれないという感想。たはは。

着目すべき点は、「独自の技法を開発した」という部分である。

肖像画に使われていた、メゾチントの銅版画作品(写真のような写実的な作品を見て、「結果はたいしたことがないが、技法、マチエールにおいては、スゴイものがある」という評価で、旧来の技術を復刻するだけでなく、独自の技法にて、銅版画に新しい世界を築いたののだと、ビデオが語ってくれた。し

ここなのよ。

前人未踏の新しい世界を築く。

これが、芸術活動の根幹をなしているということのようである。

であるからして、同じように、セザンヌは「近代絵画の父」と呼ばれているわけよ。

前人未踏を成し遂げたという実績から、そういう呼び名がついたということになる。

写実から離れられなかったゴッホと比較すると、セザンヌはずっとスゴイわけ。

ゴッホの絵の方が好き?

それはね、情報の量(メディアへの露出度)が、ゴッホの方が多いというだけということだとアタシは信じている。日本の場合、特にそういうモード。

芸術の評価というのは、情報の量が多いと、好感度が上がるという商品の認知と同じようなポジションにあるということになる。

マーケのセオリー通り。

ゴッホは、ゴーギャンに、「目に見えないモノ(アタマの中で構築した世界)も描けないとダメだ」と教えられ、いくつか習作を残しているが、上手く行かなかったという結果。

現実を写実的に描く力の他、そういったモノをノウミソの中で再構築する力も求められているということのよう。

ピカソは、「僕は、モデルがいても、いなくても、絵を描くことができる」と話していたことがあった。

彼の場合であっても、存在しないモノ(実在以外のモノ)を描いたことはない。本人がそう言っているのだから、それは、「実在を、記憶の中で再構築し、ノウミソの中にある絵を、再度表現しなおしている」的な創作活動だったのだと思う。間違っていたらゴメンね。

どちらにしたって、詩的、叙情的、内面的表現が彼の絵にあるのだとすれば、それが、何処にあるのかを、いつかは理解したい。

マツモトシュンスケとか、その筋の作家さんにも、そういうものがあると、評論家さんなどは言う。

マジっすか?

まあいいか。

人の言うことなど、鵜呑みにする必要もない。

ただ、花に魚が散りばめられたモチーフは面白いなと思った。

魚を入れることによって、動きも出るし、不思議感に満ち溢れる。

不思議な絵というのは、ヨイものである。

武蔵小杉で目黒線に乗り換えて目黒の庭園美術館へ。

丸・三角・四角の、宇治哲平展へ。

まあ、予想通りの展覧会。

この前の、評論家センセイの話を思い出す。

「ああ、この人は、見なくても、ほとんどがこの類の絵なんだろう」的筋。

なるほどねぇ。

アタシは、絵を見始めて、まだ3年くらいしか経っていないけど、そういう話なわけかぁ。

であるからして、結構著名な作家センセイであっても、どんどんと絵のスタイルを変えていて、ときどき、荒れているとは思われながらも、新しい試行錯誤を続けている人は、スゴイという話になる。

芸術というのの見方は、奥深いモノなのねぇ。

丸・三角・四角は、ミロのような、体が震えるようなモノは何も感じられなかった。

水晶の粉を練りこんだというマチエールは、確かに、他の人のと違って、それなりの評価が出来る。

きっと、しっくいの壁なんかを塗らせても、天下一品という仕事をする人だぜ。

でもまあ、もっと、水晶粉がキラキラしているかと思えば、そういうこともなく、あれなら、砂でもヨカッタんじゃないかとも思う。

もっと、オイルや透明系の絵の具に混ぜて、透明感を出して欲しいよなあ。

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