◆◆◆ 650 ★ 今井 繁三郎 ◆◆◆

2006.3.10

今井 繁三郎の番組を見る。

彼の絵がどうという話ではない。このときに、解説で呼ばれていた、「美術評論家」と名乗る男のコメントについて書きたいとアタシは思ったのである。

彼の解説は素晴らしかった。

何がどう、素晴らしかったのかを記録したいのである。

美術評論家だと紹介されていた男は、とある美術雑誌の編集長でもある。

「美術雑誌の編集長」といえば、日本には、3冊程度しかない。

BT(美術手帳)

美術の窓

ギャラリー

まあ、こんなところである。

今井さんは、版画家ではないので、版画芸術ではないはずだ。

今井は、「生命を生涯のテーマに」絵を描き続けた。

子供の心に帰りたい。よく、そう話していたのだそうだ。

彼の晩年の作品は、何もかもから開放され、自由で美しい色彩が舞っていた。素晴らしい作品群だと思う。

評論家センセイの話は、こんな所からスタートする。

「彼は、自らが、(貸し画廊で)個展を開いて、自分の作品を発表」

年に三回の個展。東京2回、長崎1回。

自由美術協会をやめて、個展でもって、自分の作品を世に問う(という挑戦であった)

解説者のコメント「企画展だと、売らないといけない(ノルマ)などの制限がある。そういうものから自由になって、(貸し画廊で)自由に作品を発表したい。

彼は、非常にイメージ豊かで、作品にバラエティーがある。その絵を、次々と見て欲しい。

どんどんと新作が溢れてくるから、発表したい。

自分の自由な表現を発表したい。描きたいから描いている。(というところが、ホンモノの画家である)

夢を見るものに終わりはない。次々に生まれる作品を、みんな見て欲しい。そういう強い欲求が、最後まである。だから、絵描きさんなのである。

注文があったからということではなく、どんどんと絵があふれてくるから、発表したい。

彼の展覧会には、イロイロな作品が出ているので、見に行かなくては解らない。そういうトキメキがあった。

(→ここでは、パンフレットやDMの絵なんかを見れば、もう、見に行かなくても、どんな展覧会なのかが解るような作家が多いけど、彼は違うということを話したかったみたい。)

今井は、地元の中学校の代用教員をしながら、家族を養うかたわら、地元の画家たちを育て、地方からの情報発信にも務めた。

その後、毎年、長崎にも長期に滞在し、風景なんかも沢山残している。

地方に引っ込んだ理由は、画壇の混乱から離れたかった。画家として、自由に生きたかった。

この頃、今井は、竹久夢二の、「芸術家はもう沢山だ。ほんとうに、人間として人間の悲しみを知る画家が出てもいいと思う」と語っていた言葉を大切にしていたという。

プロの画家が気づかない、人間の情感や悲哀を大切にした絵を描こうと決意する。

今井が出演していたテレビ番組で、本人の言葉。

死ぬことは怖くない。自分の生活(40年)は、一体何だったのか?ホントに自分の人生が満ち足りていたのか?無駄だったのか?

俺は生きて「ヨカッタ」生きていたんだという絵を、たった一枚でもいいから残したい。

そう語されていた。そういう(人生の全てを表現した)絵というのは、せいぜい、人生で一枚くらいしかできないということのようである。

アナウンサーが解説者への質問

「今井は、自分には才能がないということを、嘆いていらっしゃったようですが?」

解説者「才能って、一体、何なんでしょうね?

妙に才能があって、ほめられて、そのうちに、褒められている人の機嫌を取っている。それを才能と呼ぶ人は多いと感じます。(要約すると、最初、ポっとなりあがって、あとは、知名度だけで、たいした作品でなくなったとしても、マワリがチヤホヤして、それを才能と呼んでいるケース多数ということみたい。画廊は、売れれば、チヤホヤするよなあ。笑。)

誰かが前にあって、お手本があって、それを真似するというのは、ヒヨというものである。

絵を描きたいということは才能でね、(描き続けているうちにオリジナルなモノが出てくる)才能というのは、誰かの真似ではなく、未知数のものに挑戦する、前進的な欲求が、この方にはあった。

古くさくなく、暗くなく、今の時代の中に明るく希望を表現できた。見ると元気が出ますよね。

何かを、自分の業とかを、頑張ってきたものを捨てて、新しく命が芽吹いてきたものに全てを賭けるというところから、新しい展開が始まってくる。

この人の最もオリジナルな、誰もやっていなかった仕事が作れるようになって来た。

今から死にに行って、再生する。落ちたものが、また芽吹いてくる。日本人の持っている、本来の美の問題・イメージの問題に帰られて、それを捕まえられたという気がする。

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