◆◆◆ 640 ★ 棟方志功の番組 ◆◆◆

2006.1.13

何でも、彼に関する新しい書簡が発見されたとかいう番組だった。

志功が師と呼ぶ、柳宗悦への書簡である。

なるほどねえ。

柳とは、民芸運動の中心的人物。

河合寛治郎なんかも、この運動に加わっていた。

偉大なる芸術家を沢山輩出したというこの運動は、見逃すことが出来ない。

柳の言葉の中にも、

「誰もやっていないことをやりたい」という一行がある。

この言葉の中に、すべての芸術性が凝縮されているのだと、最近は感じるようになった。

そういう、前人未知であったかどうかという観点での作品鑑賞が、最も手っ取り早く、作品の価値を見極めることが出来るという意味である。

それは、陶芸であっても、書であっても、その他の作品であっても全く同じ場所にある。

柳は、棟方の作品を見て、ひとつの茶碗を差し出す。

「いい茶碗だろう。だけどね、この作品は、一人の無名の陶工が作った作品なんだよ。芸術にとって、誰が作ったのかということは関係のないことなんだ。自我を捨て自然に湧き上る気持ちのままに版画に取り組むべきだ」

と説く。その茶碗、河合寛治郎だったりするかもしれないけどなあ。謎爆。

なるほどねぇ。自分が出すぎると、確かに売れなくなるよね。実感。

でもまあ、民芸運動だからね。笑。

芸術の方向性は、作家それぞれに個別に設定されているというのが正しいし、それに向かって創作活動がなされているのであれば、それはそれでヨシと最近は思えるようになった。

でも、この番組の、核になる会話は、とても参考になったので、もう少し記録することにする。

棟方は、「いくら描いても素直に出来た気持ちが至らない」(→彼のボキャブラリーは独特で、意味はよくわからないんだけど、アタシなりの解釈としては、作った作品が至らなくて、アタマに来るということだと思う。それは、アタシ自身にもよくあるので、きっとそう。)

という苦悩の中にいて、救いを求めるように国立博物館に足を運ぶ。

須菩提の像(内なる煩悩と戦い修行する姿)を見て、己の未熟さを痛感。

柳に、「自分の未熟さを裸にされ、正月早々泣きました」

と手紙を送っている。

そうして、このときから、釈迦十大弟子の製作に入り、一年半かけてそれが完成した。

そのとき、柳は、「これでいい。自分の教えることは何も無い」

と残している。

棟方は、「自分の才能だけですべてを作り出すのではなく、自分の弱さをさらけ出し大きな力に、身をゆだねたときはじめて素晴らしいものが生まれる。自分の名が偉くならないと、仕事が立派にならぬと思い込んでいたのです。それを柳先生は、本当のモノは名がならずとも仕事が一人で美しくなるように決まっているものだと(教えてくださいました)。今まで鬼につかまれていたものが、すべてが輝いて美しく変貌しました。」

このあと、棟方は、自由で力強い画風を手に入れてゆくのである。

テレビ番組というのは、勉強になるね。

作品がホンモノになれば、そのほかのモノは、自然についてくるものである。

アタシは、柳センセイに、一生お会いすることはできないが、このように、テレビを見るだけで、教えを受けることが出来る。

ありがとうございます。

感謝します。

優れた教えというのは、そんなに多くはない。世の中には、イロイロな情報が混在し、正しい情報だけを選んで進むというのが、もっとも難しい。

どんなに有名になったからって、中身がたいしたこと無いのでは、その場限りの知名度ということになる。

本当に作品が優れているのであれば、その作品は、勝手に残ってゆくものだということのようである。

間違えずに進むということの難しさを思い知った気がした。

余談であるが、棟方は、作品が売れるようになるまで、納豆売りのバイトをしていたのだそうだ。

そうだよ。世界の棟方でさえ、バイトをしなければ生きられない世界なのである。

アタシがバイトをするのは、当然である。

安い仕事を得るために、膨大な労力を費やして、更に絵が荒れてしまうより、割り切って、収益を別に求めて、残りの時間、販売などをしないで、作品作りに没頭できるほうが、よっぽど将来のためになるぜ。

と考えて、少し気が楽になる。何よりも、夕飯のおかずが充実するのが嬉しい。

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