◆◆◆ 638 ★ 面接を受ける ◆◆◆

2006.1.13

起業家イベントというのがあり、コンサルタントの先生と、一時間の面接がある。

面接は、彼女が、最近流行りの、エバラなんとかいう占い師の本を読んでいるという話からスタートした。

アタシは、その人の事を知らなかった。後日、電車のつり革広告で、芸能人が心酔している、霊能者なのだということを知る。

まあいいか。

アタシは、その話に何分も相槌を打たなくてはならず、起業コンサルタントというのも大変だと思えてきた。

そういえば、アタシも、その筋の本を何冊か読んだことがあった。

確か、「アナタには、悪いもの(キツネが三匹と狸が一匹、懐具合では、性質の悪い竜など)が憑いているから、除霊をしましょう。」的ストーリー満載の本で、気づいたら、3冊も買ってしまっていたことを知り、気絶しそうになった。

人間の心というのは、本当に弱いものだと思わされた。

今思えば、何で、そんな本を買ったのかさえ理解できないのだが、心に隙間ができていて、そこに入り込まれたのだと思う。

ある種の脅し商法なのだと理解でき、私は、やっとその本から離れることが出来た。

面接では、私的には、どういう事業展開をするのかという話を説明し、どうして、このイベントに参加しようとしたのかという質問には、「地元の公共メディアにタダで載れると知名度が上がりますので」

などという、品の無い回答をする。

絵は、もっと力をつけて、発表するということを繰り返したい。それは、全く自分との戦いである。会社になっている必要はない。

力をつけるという作業は、売れている絵と売れていない絵の差を知ることであり、一流の品物を見て歩くことだけが、私が出来る唯一の勉強ということになる。

良い品と悪い品の違いを理解した上で、自分の作品の至らなさを知り、良い品に近づけてゆく。これが、次の作業になる。

こんなに展覧会に行っているというのは、私の中で、まだ理解し足りない部分があるということに他ならず、モヤモヤしたものをクリアーにし、理解を深めたいという気持ちなのだ。

そういう、素の欲求に逆らわず、とりあえず、見に行ける展覧会は見に行こう。という、使命感のようなものまである。

バイトを始めて、絵を描く時間が極端に減ってしまい、不本意極まりない。

ワタシが働いている間にも、絵が描けて、力をつけられる人を羨まないでもない。

でも、そういうコトを含めて、才能とか、人生についてくる運とか言うものなのだろうとも思えてくる。

絵を描いている人は膨大に存在するわけで、どの人も、真剣に描いているのである。

が、仕事を得ている人は、実はごくわずかだということが解ってきた。

ミツコシデパートの、両洋の眼を見に行く。

有名作家さんの作品と、まだ知らなかった作家さん(たぶん、有名なんだと思う)の作品が並ぶ。

作品の質は悪くなかったと思う。

それなりに楽しめた。

が、見ていて気づいたことがあった。

ああ、この人の絵は、金を稼いでいる絵だなあ。という絵は、明らかに、そうでない絵と差があるということである。

ふぅ。

驚くぜ。

お、この人。と思うと、何らかの展覧会を見たことがあったり、雑誌の表紙を描かれていたりするのだ。

アタシが知っているということは、相当、有名な人ということになる。

他の絵が劣っていたということではない。

同じ芸術性を持つのに、稼げる絵と、稼げない絵が共存しているということになる。

ビミョー。

この辺を、もっと、研究したいよなあ。

一体、その差というのは、どこから出てきているのだろうか?

そういえば、不忍画廊では、ゴアサさんの展覧会がまた開かれるのだそう。

ゴアサさんの作品は、見るたびに良くなっているなと思う。

今度のは銅版画もあるので、楽しみだなあ。

テレビ番組の解説の人が、「本物の作品というのは、目に見えない力が宿っている」

という話をしていたのを思い出す。

目に見えない力かぁ。

アタシは、オシオッサさんのことを思い出していた。彼女は、目に見えない作品を作るといっていたけどなあ。

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