◆◆◆ 598 ★ 「謎」 ◆◆◆

2005.12.30

この前、テレビ番組を見ていたときに、「謎以外に一体何を愛せようか?」とニーチェが言った話をメモする。

哲学者というのはイイこと言うねえ。

宗派を開ける坊さんのプレゼン能力に匹敵するぜ。

「謎」だよねぇ。

ナゾナゾというのは、解く人よりも、問題を作る人の方が、圧倒的に能力が高い。

それだけは確かである。それはアートに於いても同じことである。

芸術が「謎ナゾ」なのだと考えれば、「よく解らない」アートの話は、大いに納得できるということになる。

現代アートは、多くの観衆が解こうともしない、「謎ナゾ」だということになる。

まあ、「謎なぞ」だと気づかないから、解く事もしないわけで、「謎が隠されている」と気づいたからといって、誰にでも解けるということでもない。

まあ、たまに解ける人がいる。かといって、その人は、他の人に答えを教えたりはしない。

もし、教えてくれるのだとすれば、、その人は、明日見ようと思っていた映画のラストシーンを得意げに説明してくれる、デリカシーの無い知人のようなものである。

自分で少しずつ理解を深めたのでなければ、真意に到達することは無い。

現代アートの話をしていると、解っている人と、解っていない人との温度差というのがあって、その、ビミョーなやりとりとか、時にはバトルを聞くという時間が、また至福である。

きっと、そのやりとりにも近々飽きて、アタシも、もうこの話はしなくなると思う。

他の現代作家さんも、みんな同じ気持ちに違いない。

作品の説明をするのが面倒になると、「この作品には意味はない」などと一言で済ますことに決める。

アタシは、「オジャラ」という名前の意味を、あまりにも多くの人に聞かれるので、面倒になり、「意味はあるが、教えてあげない」などという回答をすることに決めている。

てっきり答えてもらえると思っていた質問者は、含み笑いをしたり、唖然とした顔をして、ますます気になるという流れになる。

アタシは、クイズのヒントを出す。

「スペイン語なんだよね。だから、英語と違って、サーチエンジンなんかの効率がよくってね、結構オトクな名前だったと思う」

そうすると、みんな、ネットのスペイン語の辞書などで意味を探そうとする。

でも、出てないのよ。

そうして、やっぱりいつまでも気になって、今度は、図書館や大型書店に行ったときに、スペイン語の辞書を開き、そのときに、やっと意味を知るのである。

が、この名前にはオチがあるんだよね。

それも教えてあげないんだけどさ。

はぁ。意味が解ったとしても、オチまで解るとは限らない。それは、アナタの、ユーモア度によるということになる。

「そうして、これが、現代アートというものなのよ。」

などと書くと、パソコンの向こうにいるアナタは、やっぱりワケが解らないという顔をしているに違いない。

別に、現代アートを意図して、アタシは、オジャラという名前を選んだのではない。

が、結果的に、現代アート的な要素を含んでいて、彼らが目指している場所と、かなり近い場所にあったということである。

それは、本質を知らなかったけれども、自発的に、かなり近い作品が作れる潜在的なモノを持っているということに他ならない。

それが、才能というやつなのよね。

そうして、今年、現代アートの謎が少しずつ解けてきて、本質が、鍵穴から少しだけ見えたというところにいるのだと思う。

来年は、ノブに手をかけられるかもしれない。

どんな目的を持って創作活動をするのか。

それは、重要だということだ。

アタシは、その重要性には気づいていなかったけど、「元気アート」という、ある程度の目的を持って、創作活動をしていたというのにも驚かされる。笑。

この、「元気アート」というのは、作家の芸術性を評価するときに、重要なキーワードになるということになる。

なるほどねえ。

まだ芸術じゃないんだけどね。

自分の作品がまだ芸術じゃないということに気づけているというのも、ある種の才能だよなあ。

あと、もう一話書いて、来年は、600号からスタートと行きたいんだよね。はぁ。

不毛な文筆活動。こっ、これも現代アート的。

そんで、何を書くよ?