◆◆◆ 585 ★ SEO対策会議 ◆◆◆

2005.12.16

日本イラストレーター協会が、ヤフーに広告を出したという話を伺う。

サイトの中を拝見すると、広告など出さなくても、もう少し効果をあげられることが解り、その話をしに行くことにする。

ネットのコンサルタントなんかに頼むと高いけどなあ。

アタシの場合、焼肉ランチだからなあ。笑。

効果のワリには安いよなあ。

表面上のSEOということであれば、メールでもヨカッタのだが、100人以上のメンバーが存在するので、きっと、サイトの中がグチャグチャだろうと推定。

一度中を見せていただけば、もっと、全体的に効果をあげられる提案が増えるし、ネットでのアクセスが増えれば、協会員に仕事が流れてくる可能性が高まる。

そうして、協会の事務所に行き、パソコンの中を拝見し、やっぱグチャグチャで、会長さんのご心労が伺われた。

改善提案といっても、アタシがメンテするワケじゃないからさ、言いたい放題なんだけどね。笑。

ランチ、ご馳走様でした。私も、ご協力できることがあれば、いつでもご協力させていただきます。

というように、オジャラは、とても良い人なのであった。

会長さんとは、まず、ランチの最中に、この前見てくださった、現代アート作品の話になる。

「気になって仕方がなかった」という顔で、作品の真意をインタヴューされる。

アタシは、あまり教えてあげたく無かったのだが、話したからといって、先方が理解するとは限らないという、奥深い世界である。

そんで、なんだかんだ、その話を随分としてしまうのだった。

でも、ホントの意味っつーのが隠れているんだけどね、それは、誰にも教えてあげないの。うふふ。

というように、単純な作品でありながら、これだけ話を盛り上げることが出来るというのが、作品の力だと思う。

現代アートの作家は、自分(の中の発想そのもの)が芸術品でなくてはならない。

そうして、それを、プレゼンテーションし、相手に説明するというのも、作品に含まれている。

ということが理解できた。笑。

自分で作ると、それが、いかに沢山の事を教えてくれるのかというのを学べるよね。

その後、イラスト業界は(単価が下がってしまって、しかも、出版業界が不況なので)大変なことになっているとか、イラストレーターの登録サイトで有名な所のヒット率なんかが出てくる。

オ「千人も登録してたら、自分に仕事が来ることは有り得ないですよ」

会長「そうだろうね。取れるのは、本当に上手い数人だろうと思う」

オ「だから、アタシは、登録しないんですよ。だいたい、頼まれたって、ちゃんと描けないし。」

会長「どういうところから、仕事が来るの?」

オ「アタシの絵を希望という人だけなんで。もう、ほとんどお任せで。」

笑。

そうして、プロとはいいながら、マンションの管理人のバイトをしながら、一日中絵を描いている人とか、サラリーマンに転進する人、広告プロダクションに入り、中で専属の絵を描いている人などの話をしていただく。

マンションの管理人というのは、ヒマそうで、確かに絵が描けるよなあ。

小さいマンション希望。笑。

それから、近所の「住区センター」で学童保育のお世話係のバイトを募集しているので、応募しようかという話になる。

子供に絵を描かせたり、一緒に何かを創作するのは、自分の勉強になると思うからである。

会長「絵とか教えたりしないの?」

オ「たまに、ママ、来ますけどね。子供2歳とかですよ。嫌ですよ。」

会長「自分が、その時間開放されるからね。」

オ「英才教育の一環と考えているのかもしれませんけどね。いつも、英語とパソコンの学校に通わせるようにいいます。絵ではどうせ食べられないし、別に、習わなくても、全員が描けますからね。クレヨンと画用紙を与えておくだけでイイのです。ママは全員英語に行きますよ」

会長「ビジネスチャンスを自分から逃しているワケ?」

オ「そういうことでも無いんですよ。二歳に教えることなどアタシにはありません」

笑。

ビジネスチャンスなの?

成人した人からも、たまに聞かれるんだけどね、それもお断り。

本当に、絵が描きたいのであれば、つまらないデッサンなんかを死ぬほど繰り返さなくてはならなくて、普通の人は、そこで嫌になるからである。もし、基本的な鍛錬を飛び越えて、本画を描かせるのだとすれば、その人は、一生上手くならない。

それは、それで、アタシはちっとも構わないのだけど、もし、それだけの話なのであれば、自分ひとりでもできるのである。

上手くならないことが解っているのに、生徒でい続けていただくというのが、絵の教室ということになる。

本当の画家であれば、「自分の絵を描く」ように勧めてくれるはずだし、本当に才能がある生徒であれば、「自分の絵は、人に教わっているうちには、手に入れることが出来ない」ということにも気づくはずである。