◆◆◆ 583 ★ 熊谷守一 ◆◆◆

2005.12.14

理花というサインが恥ずかしいよなあ。笑。

しかも、メインの書と比較して、物凄く下手。

Rにしよう。

またまたテレビ番組を見る。

それにしたって、アナタも暇だよなあ。

テレビ番組の感想を読むというのは、一体、どーいう感覚なんだか、アタシには全く理解できないよなあ。笑。

まあいいか。いつも、読んでくださってありがとうございます。

図録の文章は、本当に読む気がしないのが特徴だ。

もっと、読みやすい文にしようという気が全く感じられない。

それでも、金になっているというのがね、美術界の怠慢だとアタシはいつも思う。

画家に入らずにだよ。

そういう、世の構造というのも、全く奥深く、美術界で生きるには、作品を売るということ以外に、評論なども書く能力も必要ってことなのかもしれない。

誰か、アタシに頼んでよ。笑。

テレビ番組は、さすがに良くまとめられていて、しかも、解りやすい。映像や作品とともに理解を進められて本当に効率が良いと感じるのである。

熊谷の生い立ちは、とりあえず、裕福な家庭。家業を手伝うように勧められるが、キッパリと拒否して単身で東京に上京。

画家になろうと決意する。

東京美術学校に入り、絵を学ぶ。

そんでもって、才能がありながら、途中で絵を辞めて、実家でブラブラしていたりもしたみたい。

二科展のメンバー、フジタや、梅原なんかに、画壇復帰を説得され、また画家に戻るが、生活は貧困を極めたのだそうだ。

子供の病気のために、絵を描いてくれと妻に頼まれても描けず、子供を死なせてしまう。

そうして、貧乏だったのに、絵を売ることもしなかったらしい。

どーやって生活していたんだろうねぇ。

その後、戦争があったりして、貧困は益々極まっていったらしい。

今、号400万円位する人なんだよ。

アタシの知る限り、日本ではマツモト俊介と、この方が一番高いのよ。(嫌まあ、他にもいるだろうけどさー、まだ知らないの。)

ま、作品の数がそんなに多くないってこともあるし、独自の世界を手に入れたのが60歳になってからだからね。

人気があるのは、それ以降の作品だけど、好きな人は、初期のも買いたいと思うはずだしね。個人の美術館になっているから、そうそう外に出たりしないだろうし。

熊谷でさえ、独自の世界を手に入れられたのは60歳を過ぎたころからである。

独自の世界というのは、どこにあるのか?

それは、自分にしか手に入れられない世界であり、誰かが教えてくれるということではない。

この前見た、勤労者の公募展は、この、独自の世界と対照的な場所にある。

余暇に絵を描いている人が目指すのは、上手い絵を描くことである。

独自の世界を目指しているのであれば、勤労者の公募展には応募しないということである。

普通の人が見たときに、風景や生物、写真を見て描いたような人物画を描けば、十分だということだ。

絵を描く時間というのは、至福の時間であり、その楽しみを誰にも奪うことは出来ない。

であるからして、アタシは、存在を否定しているワケではない。

絵が好きで、描きたいと思うものを描く。

それが原点である。

所が、もし、絵を描くということが職業なのであれば、必ず、「独自の世界」が必要になる。

それを持てない限り、収集家は作品を買ったりはしないのだ。

写真のような絵など、星の数ほど存在するが、それだけでは画業としての必要条件を満たしていないということである。

画家を目指す人って、「画家になろうと決意する」という、決意の瞬間があるよね。

それは、アタシにもあった。

画家になろうと決意しないと、画家にはなれないよね。人生の決断だもんね。

決意は必要だよ。

決意しないと、真剣に画業に取り組めないもんなあ。

画業とは、独自の世界を手に入れるということに他ならず、まず、「独自の世界」の存在に気づくというのが最初のステップである。

そうして、「画家になろう」というホントウの決意をし、「独自の世界」に向かった試行錯誤をスタートすることが画業なのである。

晩年であっても、独自の世界を手に入れられた人は幸せ者である。

多くの画家は、試行錯誤のまま生涯を閉じるてゆくという現実がある。