◆◆◆ 574 ★ 池口史子、シュテパンポルケンホーム、相笠昌義 ◆◆◆
2005.12.8 |
今日は、新宿方面を攻略。 損保ジャパンのビルで、池口史子を見る。 彼女って、堺屋太一の奥さんなのらしい。 そうなんだぁ。 いいよなあ。 どうして、(長いこと無名だったのに)あんなに大きい絵を沢山描けたのか、知りたかったんだよね。ネットってスゴイぜ。 でもまあ、ある意味、アタシ程結婚していながら自立せざるを得ない女も存在しないだろう。 それはそれで、女の王道というものである。 まあ、子供はいないからってこともあるけどね。 妻の画業をオットが支えてくれてたら、絵がつまらなくなるもんなあ。笑。 どうしたら、自分の才能を現金化できるかなども考えずに、好きな絵ばかり描いていても、それは画家ではない。 |
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彼女の絵について思ったのは、独自の色彩やマチエールは持っているなということ。 でもまあ、あの絵は、買わないだろうということ。面白さかぁ。一階で放映されている解説ビデオを見ると、多少理解できる部分もあるけどね。 画業とは何かを考えさせられた展覧会だった。 ヤギ姉さまなんか、損保ジャパンの公募に応募したら、きっと、大賞に選ばれて、展覧会もできるんじゃないかなあと思ったりしながら、ビルを後にする。 その後、エプサイトへ。 エプサイトでは、若い二人の写真家さんの展覧会。 女性の方の写真は、見れば、「ああ、いいなぁ。面白いなあ」という写真目白押しで、才能が感じられた。 そうして、タナカ君の作品を見る。 何気ない風景の、どこがヨイか解らない写真が並んでいる。 うーん。差が在りすぎるぜ。、、、、。 そうして、「どこがヨイか解らない」ってことは、現代アート的な作品なんだろーか? と、もう一度気持ちを整理して、作品の良さを探してみようと思い直す。 |
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おおっ、池が、犬に見えてきた。 うわっ、マスクしたジャージオヤジが、こっちに歩いてきてるんだ。(ほんの小さく写してある) こっ、この自販機、針金が飛び出てるぜ。 よーく見ると、どこかにユニークなモチーフが映されていて、いつの間にか、彼の作品の中に笑いを求めて引き込まれていた。 そうして、私は確信した。 こっちの方が上なのだ。 見た目、「ああイイなあ。」「ああ面白い」では、記憶にまで残らない。 面白い部分を自分で探し当てる。そうして、それを見つけたときのうれしさを、また人に話す。そういう「強い記憶が残る作品」の中にこそ、芸術性が存在する。 まあそういうことになる。 鑑賞者がすべきことは、「どこがヨイかサッパリわからない作品」とであったときに、そのまま通り過ぎないことである。 「どこかに、良いところがあるかもしれないから、探してみる」 ここが、鑑賞のポイントだ。 作家の発想が、常識を超えていて、全く良さが伝わらないという作品がないわけではない。もしくは、全くの駄作ということもある。 それでも、作品と向き合って、対話する。 絵を見て歩くというのはそういうことなんだと、今日思い知った。 |
そのあと、初台まで甲州街道を歩く。
シュテハンバルケンホールを見るためである。オペラシティーアートギャラリーに行くのは二回目。 こちらの展示は、まあ、テレビ番組で紹介されていた通り。人の入りも閑散としていて、美術館経営の難しさを感じさせられた。 木彫りのマチエールには独自の世界があり、木のぬくもりや、背景画面の前に置いた人形の組み合わせなんかで、作品をイロイロな角度から楽しめるという、自由さもあった。 でもまあ、今日のヒットは、相笠昌義さんの展覧会である。 シュテハンの展覧会の券で同時に見ることのできる彼の展覧会。 一人の人が収集した、相笠さんの作品と、作家ご本人収蔵作品の展覧会である。 とりあえず一週。 最初のときにはあまりパっとしなかったが、一点の作品に心が停止する。 peaple looking forという作品は、展覧会を見ている人が描かれている。 壁には、何も展示されておらず、ただ、壁を凝視している鑑賞者が何人か描かれているだけである。 鑑賞者は、壁に目を近づけており、きっと版画や細かい描写の写真なんかを見ているのであろうと想定できた。 この作品のどこがどうヨカッタのかって? 教えてあげないわ。 アタシは、正面の椅子に座り、探していたものにやっと出会えたのだと思った。 |