◆◆◆ 572 ★ 上野巡回 ◆◆◆

2005.12.5

ヤギ姉さまから、新作家展の展覧会のご案内を頂く。

いつもお心遣い、ありがとうございます。

また、奨励賞ご入賞、おめでとうございます。

ヤギ姉さまの絵ときたら、相変わらず格調高く、ほかの方とは一段違った場所にある。

公募展の展覧会に並ぶという作品でもないような気がするけどなあ。笑。

新作家展は、今回拝見するのが3回目であるが、会員の作家さんの個性みたいなのが解ってきて、絵画というものは、こういうものなのだと思わされる。

そうして、この前世界堂で賞を取っていらしたキシモトさんの作品なんかは、前回のセントラルの作品とか、YES展なんかに比べて荒れているなあとか、モンドリアン風は、今回はクレー風だなどという感想を持ちながら、作品との対話を楽しむ。

絵を沢山見るということは、そういうことなのである。

すべての作家が、良い絵が描き続けられるわけではない。

そのあと、プーシキンに行こうとしたが、チケットが11/20までで切れていて入館できなかったので気絶しそう。笑。

もう、印象派は卒業ってことなのかもしれない。

都美術館では、都展と、勤労者展というのが無料で開かれていて、そちらも拝見することにする。

画壇の研究というのは、公募展を見に行くというところがスタートになる。

とりあえず、タダなら、見に行きたい。600円は払えないが、100円位で手に入れられれば、行きたいのよ。

ということで、皆さん、招待券送って下さいね。うっふん。

六本木になったら、行かないかもなあ。上野って至近だもんなあ。

今の建物は、この先、どーなるんだろーねぇ。

その後、風子会展、流形展、が入場無料だったので拝見する。

どちらもなかなかレベルが高かった。

足立区展よ、もう少し頑張れよ。と、しみじみ思わされた。

力のある人は、みんな区外に流失してしまっているのである。上野までは、電車で10分だからね。当然、そうするよなあ。

公募展をチェックするポイントは、入賞作品の傾向、それから、賞の数、誰が賞を出しているかという所。

たとえば、画材会社の賞なんかがある画壇は、それだけで入賞者が大量にいる。

画材店の人というのは、公務員と同じように絵には素人なので、トンデモない作品が入賞していたりして、その意外性も鑑賞のポイントである。

でも、一番見るべきは、入賞作品である。

入賞作品の良し悪し(→会によってはね、ほかにもっとイイのがあるのに、たいしたことない作品が入賞していたりもするのよ)である。

入賞作品の、色使い、構成力、画面の動きなどを勉強させていただく。

画壇というのは、いくつもあり、その数にも驚くのである。

美術関係者が、仲良くないことの証拠であり、それは、俳句の会に似ている。

まあいいか。

画壇が絵を売ってくれるワケではないからである。

ビジネスとして考えたときには、画壇を主宰しなければ儲からないのよ。

そういえば、タマちゃんに、「オジャラさんも、画壇を作っちゃえばいーんだよ」などと言われるたことあったよなあ。たはは。作りませんっ。キッパリ。

その後、芸大美術館コレクション展の吉村順三展へ。

これは、いつもチケットを送ってくださるN嬢がお送りくださったチケット。いつもありがとうございます。感謝します。

芸大美術館は、上野の森から至近で、タダなら、いつでも見に行きたい。

小規模の展示スペースで、一体どんな展覧会ができるのか。そこを見に行っているのである。

収蔵品は膨大だが、集客力がね。

どうやって話題になるのか、まあ、その辺も重要である。やはり、芸大ブランドだよね。

吉村順三という建築家のことは、アタシは全く知らなかった。それは、清家清も知らなかったので同じことである。建築にたいして興味があるということでもない。

アタシが興味があるのは、「建築家なのに、美術館で展覧会が開ける程有名な人」の作品を見て見たい。

という部分である。

駅までの道には、「建築家でゴザイマス」的、インテリ系オヤジが大量にいて、おおっ、入る前からムードが違うぜ。などと思う。

そうして、中に入ると、かつてない混み具合。

正確に言えば、横山大観は例外である。

パーテーションを取り去った展示場に、模型と図面が並べられて、それぞれの作品に人が集まって、ゆっくりと建築物を楽しんでいる。

世の中にはイロイロな展覧会が存在するものである。