◆◆◆ 563 ★ 個展三・四日目 ◆◆◆

2005.11.26

ハートストーンのコーナーは、奥から入り口付近に移動。だいぶ集まってきた。(正確には、白兎コーナーと呼ばれている。笑)

白兎さん、いつも、ハート石をお送りくださり、ありがとうございます。感謝します。

並んでいると、心が和むぜ。

土曜日で、朝から一人、前のアパートに住むという方が訪ねてきてくださった。

看板が気になったし、ご近所だという理由である。

「絵のことは良く解らないんです」と言いながら、中に入ってくる。

実は、「絵のことは良く解らない」といいながら入ってくる人は多い。

はじめはみんなそうなのだ。

アタシだって、今だって、別に良く解っているということではない。

ひとつだけ言えるのは、これから解ろうという気持ちがあるかないかだけである。

絵を見るのが好きだし、これから、もっとイロイロと知りたい。自分でも勉強してみる。みたいな状態であれば、良く解る日が来るかもしれない。

別に解らないからといって、それが悪いということでもない。

外には、この前描いた60号を展示。

お隣のオババ様も、「この絵は上手いわねぇ」などという感想。

上手いとか、下手とかいう問題じゃないんだけどね。笑。

まあいいか。

もう少し、木の緑色を濃くした方がヨカッタかなぁと思ったりもする。

今考えると、アートというのは、「誰が見ても、ヨイ絵である」という作品よりも、「どうしてこの絵がヨイのか解らない」

そういう絵の方が、優れている。

全部ではないが、「どうして、この絵がヨイのか?」という、謎が含まれた絵は、「誰が見たってヨイ絵」よりも、ずっと記憶に残っているからである。

より、記憶に残る作品という意味で、存在価値が上なのだ。

11/27

今日は、ガード向こうという方が、「看板がヨカッタので、きてみました」

と言いながら、訪ねてくださった。

オ「絵がお好きなんですか」

ガ「はい。」

オ「銀座(の画廊)を流されたりするんですか?」

ガ「嫌、銀座を流したりはしませんが」

オ「美術館巡りとか」

ガ「嫌、そういうワケでも、、、」

どんな美術愛好家なんだろう。みたいな。(話を聞いたり、絵を熱心に見てくださったりするやりとりで、この人は、間違いなく筋ということが判明)

オークション筋だったりして。笑。

あの時は思い出さなかったが、今度聞いてみよう。

そうして、彼が、ヨカッタと言ったのは、大場印刷さん前に展示中だけ吊るされる、この垂れ幕。

確かに、この絵が悪いから、みんな恐くて入れないのかもしれない。

アタシにしてみれば、結構よく描けたと思うのだが、フツーの人には、「この絵のどこがよいのか解らない」状態なのかなあ。

かなり、マトモな方だと思うけどなあ。

もう少し、猫や写実的な花の絵などに描き直したりしたほうがいーんだろうか?(→イーとか悪いとかいう前に描けないくせに。笑)

看板は、展覧会のたびに描き直されているが、その都度よくなっているということのようだ。

毎日大破する、傑作じゃ無いほうの現代アートちゃん。

毎日、大破するので、毎日作り直す。

同じ作品でありながら、違う作品である。

というのを繰り返す所が、現代アート的なのよ。うっふん。

それにしたって、アタシもヒマだよなあ。

筋の方は、アタシのドローイングなどを丁寧に見てくださり、応援してくれる方(オットや家族など)がいれば、これでいいんじゃないのか?

「絵などでは食えないひとばかりですよ」

などと言い残して帰る。

「画家というのは、商売ではない。」

そういうことなのかもねえ。

買うほう(買わないけど、見るだけの人)もそう思っているのだとすれば、本当に問題である。

が、マーケティングというのは、発想が違うのよ。

「どうしたら絵で食べられるのかを考える。」

これが、マーケというものなの。

画家は俳人とは違う。

俳人で収益を得ている人は、ごく僅かであるが、画家には、物凄く儲けている人もいる。

別に、物凄く儲けたいと思っているということでもないが、ある程度は稼いでいるという人もいないワケでもない。

それは、絵に価値があるからである。

価値のある絵になれば、絵は売れることがある。

ゴールは、まず、価値のある絵になるということなんだろうか?

どーよ?