◆◆◆ 561 ★ 午後からはアトリエ ◆◆◆

2005.11.24

外に展示してある什器の改善工事を行う。

今は、木ネジでフェンスに取り付けているのだが、鉄パイプを利用し、室内にも移動できるようにする改善である。

この、ビニール製の什器は、この前のアートイベントでアタシが作った品であるが、もう使わないので、アタシのアトリエで使っても良いということになる。

感謝します。

そんでもって、これを利用して、作品を外にも展示しているのである。

木ネジで止めてしまうと、夜は、アトリエに取り込むときに、絵を全部取り外さなければならないのだが、ビニールごと中に取り込めるようになると、出し入れなどが短時間で済む。

雨が降ったりしても、取り込んだりもできるしね。

そんな感じで、大量の絵は、まだまだ増殖中。

工事で、ぐちゃぐちゃになっているときに、小学校前の貸衣装店のYさんが訪ねてくる。

オ「今日はお休みですよーっ」

というが、意味がよく解らないみたい。

Y「ここ、場所が解らないよ」

オ「そんなこと言ったって、引っ越すというワケにも行かないんです」

などと、実態を説明する。

ムリなことをしないのが、アタシのライフスタイルである。

というか、ここで個展をする予定というのは、もともと無かったんだよね。汗。

コーヒーなどを飲みながら、展示品を見てくださる。

そうして、作田先生の絵を見て、「この絵は、シュールですね」

などと感想を述べる。

レオノールフィニは大絶賛。

オ「センセイの作品を見た方で、シュールだと感想を述べたのは、Yさんが初めてです」

Y「どうして?」

オ「そんなに(アートの知識)レベルの高い人は、一人も来たことがありません」

などという会話。笑。

そうして、お商売をやっている方は、(原価が低い作品なので買ったりすることはないのだが)ホントウに、私のことを心配してくださり、

「もっと人が来るようにできないかなぁ」

などと、一緒に考えてくださるのである。

一緒に考えるというのがね、、、、。イイ人が多いぜ。

帰りに、私の人生の傑作である、現代アート作品を見ていただく。

そうすると、Yさんは、「オノヨーコの作品みたいだね」などと笑い、「いくらで売るの?」というので、

オ「人生の傑作ですからね、200万円くらいでどーかなと」

などというと、爆笑して帰っていった。安すぎたからかなあ。

ちなみに、昨日来たKさんは、どこがヨイのかすら全く理解できなかったため、アタシに、「この作品のことを、アナタが理解する日は一生来ないわよ」

などと、バッサリ切り捨てられたしまうのであった。

あのあと、あんなに良い記事を書いてくださったのに。

Kさん、今度、こっそり教えてあげるからねーっ。

アタシは、あんまり現代アートのことを教えたくないのよね。

知った人だけが理解できる、楽しい世界であり、それは、会員制の無料クラブのようなもの。

知っている人は、作品の意図を理解し「ニヤリ」として、やっぱり、誰にも教えたりはしない。

今回の、新作は、アタシの人生の中で、これ以上の作品は出来ないという域。

うふふ。

まあ、(現代アートの事を)アタシ程理解できている人は余りいないと思うけど。

そこが、アートの奥深さである。

オジャラよ、「デュシャンは語る」を2-3ページ読んだだけだろう?

まあね。解る人は、その情報だけで十分創作ができるようになるということなの。

創造者の中でも、一部だけが、そのホントウの世界を表現することができる。

鑑賞するのはね、誰にでもできると思うけどね。創作者程理解は及ばない。とアタシは思うのよ。

実際問題として、作れる人も多くないんだよね。

念のため言っておくけど、何かのパクリではないよ。

ただ、同じような発想を持って、同じような品を作った人がいるかもしれない。アタシには、その情報はまだインプットされてないんだよね。

ということで、見た方で、過去にこの作品のような品を知っている方いたら、お知らせ下さい。(謎だらけ)

そのあと、銅版画教室のSさんが、何かのついでだと言って訪ねてくださる。

そうして、レオノールフィニを大絶賛。(→これを見にきたんだよ。ゼッタイ。)

S「これがこの値段で買えるなんて、アナタも相当のメキキよね。」

などと言い、

アタシは、「美術品を見分ける力がないと、そこまで行けないでしょう?」

などと話す。

絵の良し悪しの勉強をし、「芸術とは何か」を理解できていなければ、自分の絵が芸術になることはない。

公募展などを見に行くと、「芸術とは何か」はおろか、「絵画とは何か」ということすら解っていないという展覧会に驚く。

審査の人も、解ってないから、審査員などをやって、絵以外の日銭を稼いで食いつないでいるのである。

公募の審査員も、職業のひとつだと思えば、そのことを否定することはできない。

更に、絵を描いている時間は至福の時間であり、その幸せは、誰にも奪うことは出来ない。

でも、売れている絵というのも存在するのである。(それが芸術ばかりではないという場合もないこともないけど、そんなにレベルは低くない・笑)

もし、ホントウに絵の世界で生きる覚悟なのであれば、もっと、優れた作品(というか、売れている作品)に触れ、悪い作品との差を考えなければならない。自分の作品と並べて、自分の作品がいかに低い所にあるのかという現実を知れば、自分の絵が売れないのは仕方がないと思えてくる。

それが、自分で、判断できるようになり、売れる絵まで到達できるようにならなければ、作品が良くなることもなければ、売れることもない。

今までの研究では、そういうことのようだ。