◆◆◆ 537 ★ 薪能を見に行く ◆◆◆

2005.10.29

春日部の八幡様で、2年に一回薪能があるというので、見に行くことにする。

2時間程並び、良い席で拝見する。

暗いながらも、スケッチ(素描?)も数点作る。

ヌードのクロッキーばかりでは、服を着た人の動きを捉えることができない。

どちらかといえば、北斎漫画の模写の効果がではじめてきたのかもしれない。

意識して、動きを表現するような鍛錬を積まないと、日本画の巨匠のような、ハっとする瞬間を描いたりすることはできないということのようである。

チラチラと雨が降りそうなムードも、なんとか持ちこたえてくれた。

雨は悲惨だもんなあ。(屋外)

何でも、近所の文化会館も雨のために押さえてあったらしいけどね。

皆さん、どうしても外でやりたかったという感じ。

地元の八幡様に奉納するための能だもんねえ。当然だよねーっ。

能とか、歌舞伎とかいうのは、サーカスみたいな、キャラバンだなあと思えてくる。

笛を吹いたり、唄を歌ったりする人もセットでやってくる。

その家族までも支えなければならないのだから、家元というのは大変な職業である。

自分の芸だけで集客し、収益を得て、分配しなければならない。

そうして、その芸が、多くの方に認められるまでには、隠れた精進があるはずなのだ。

日本の人は目が肥えている。

良い演技でなければ、ボロクソ言われてしまう。まあそういうことになる。

絵画や美術品の展覧会と比較すると、音楽とか演劇系の「公演」というのは、動きがあるよね。

何のために、人は公演を見に行くんだろうねえ。

お一人様5000円で、ざっと1000人。売り上げは500万円ってとこかなぁ。

関わっている人の数を考えれば、収益的には、そんなにイイってことでもないよねえ。

市役所の人も来てたから、援助金も出ているかもしれない。

どんな世界も大変だと思わされる。

これが、1ヶ月とか続いて、しかも、人が毎日これくらい入れば、儲かるけどねえ。

芸に関わる人の生活というのは、本当に頼りない。

もうそろそろ、来月号の雑誌の表紙の時期で、新しい絵を描く。

一ヶ月というのはあっという間である。

来月のテーマは、高齢リッチ系マーケかぁ。

絵的に老人というのは辛いから、何か、別な切り口を見つけないとねえ。

そういえば、マイコミのオークションに来ていた層の中に、老夫婦が結構混じっていた。

ほとんどは業者、ときどき収集家なのだが、まあ、美術品を安く買おうと、愛好の方が混じっていることがある。

そんでもって、有名人の作品などは、相場に関係なく、趣味の老夫婦がガンガンと「せり上げ」てくれるらしい。汗。

まあいいか。

マーケットというのは、そういうものである。

「いくらでもいいから欲しい」

そういう人がいる商品だけが、高値で売買されているのである。

でも、中古市場でいくら高値で売買されても、作家には金入りませんからぁぁぁっ。残念っ。

アーティストの支援をするなら、生きているウチに本人に。斬りっ。

というように、アートの市場というのは、よく見えない部分が多い。

間違えてはいけないのは、生きているウチには、大して高値で売買されたりしないということである。

ムラカミタカシだって、いつまで持つかなんて、誰にも解らない。

大量生産されたマウスパットにサイン入れて、何十万で売るという感覚は、アタシには信じられないけどね。買う人がいるウチは勝ちということである。

作家なら、実作品を売らないとなと思うんだよね。でも、CGの人は、どんなに頑張っても印刷物になっちゃうからね。

この先、どうなるんだろうかと、不安はあるよね。

まだ、自分の作品を手で描いている奈良美智の方が、レベルが上って気がするけどね。

ま、どっちでもイイかぁ。

奈良さんの場合、画廊で70000円でドローイングが売れるというのがスゴイよなあ。

アタシが言いたいのは、それほどの価値があるとは思えないのに、その値段で売買されているという実態である。

価値がある素描なら、別に文句は言わないぜ。

そうして、作家本人には、一体いくら入るんだろう。

その辺をもう少し研究したいのよね。