◆◆◆ 526 ★ 中島宏、ギュスターブモロー、デ・キリコ、鈴木敦子-2 ◆◆◆

2005.10.15

その後、文化村に流れて、収集家さん達に話題の文化村オークションを冷やかす。

この前行ったマイコミより、ちとお高いムードかなあ。

筋は、まあ、理解できる筋ではある。

村上隆のマウスパットにサインがついたやつが額に入って4万円で売られていた(ゴメン。もっと高かったかもしれない)

まあいいか。

買う人の気がしれないが、欲しい人がいたら、その画家の勝ちである。

アタシが文化村で買うことはないだろう。

まあ、どうしても欲しいのがあれば、買うかもなあ。

置いている筋が、人気筋に限られていて、日本人の趣向というのは、情報量に比例しているというマーケティング理論は正しかったと再認識する。

もっと優れた作家さんも沢山いるんだけどね。情報の量だけで作品を買うという市場だということである。

掘り出し物を探すという楽しみは、ここにはない。アタシが、アートマーケットで100円で買った銅版画の方が、よっぽど素晴らしいぜ。

コロニでのドローイング

その後、ギュスターブモローに流れる。

神話を描いたという画家で、それ以外に話すことはない。

絵の出来は、優れたのが4-5点、あとのは、どーかなあというのも多い。

もともとが、画家の家にあった作家の収蔵品というのは、アタシの感覚だと、意識して手放さなかった傑作か、売れ残り品ということになる。

これは、全く驚くべきことだが、展覧会を見ればそれは納得できる。

モローの黒と白い細かい線で仕上げられた完成作の格調高さとは別に、荒く背景を面で塗り重ねた作品の出来は、同じ作家が作ったものとは思えない出来である。

完成前に、作品を忘れていて長期に放置されていたか、年をとってきたため、細かい描写をする根気が無かったかのどちらかだろう。

その両方かもしれない。

どちらにしたって、うっひょー。っという作品は何点かしか無い。

文化村のように大きい会場だと、ある程度の作品展数の展示が必要になるので、良い作品と抱き合わせで、細かい作品やら、質の悪い作品も混ぜて借り受けるということに他ならない。

見ている人の多くはそういうことに気づかないということなのだろうか?(気づく人は気づいているよなあ。汗。)

それとも、美術館に展示されているというだけで、見る側が芸術だと思い込めるような素直さがあるということなのだろう。

売りやすくてイイところだねえ。日本は。

その後、デ・キリコ展へ。佐伯の展覧会よりも、こちらの方がずっと面白い。

それが素直な感想である。

別に、キリコの絵の意味を理解できたということでもないし、抽象画のような解説を読む気にもなれなかった。

でもまあ、こういう絵は、アタシはまだ、一度も描いたことがないぜ。こういう絵を描こうと、考えたことも無い。

そこだよねえ。

画家の岐路というのは確実にあって、それはいくつかに分かれている。

どの道を選ぶのか、一旦行きかけた道をまた戻るのか、もしくは、岐路があることも知らずに終わるのか。

そこは、物凄く重要だということである。

何が重要なのかというと、買うほうが、重視しているということだ。(爆笑)

ま、展覧会を見ただけで、その作家さんの幅というのはすぐに理解できる。

日本画の多くの作家さんや、オギスや佐伯などの、風景しかかかない画家さんと、小山田二郎とか、佐野繁次郎なんかとは、全く違う世界であるということである。(筋の人は、後者が好きという場合多し)

そうして、「薔薇の絵」ばかりが、ロンドン筋に数枚売れそうな気配なので、一旦開放されかけた私の心は、また薔薇に戻ろうかという兆し。

まだ、自分の絵だけで勝負できるということでもないということなのだろう。

売り絵は売り絵でシッカリと描けるようになり、絵の具代を稼ぐということも大切なのである。

帰りに、不忍画廊で、鈴木敦子さんの展覧会に流れる。「ウワっ。前の時より良くなってますね。」

素直な感想である。

アライさんも、「みなさんそうおっしゃってくださって、ありがとうございます。」

という会話。

前回よりも、良い展覧会になっている。

収集家にそう思われるコトほど、作家冥利に尽きることはない。

オ「どんな作家さんも真剣ですからね。こちらも真剣に見なくてはいけません。」

ア「オジャラさんは、沢山ご覧になっているから解るんですよ。沢山見ている人は、絵の価値が解りますからねぇ。」

オ「価値の解るお客様ばかりで、アライさんも、やりがいあるじゃないですか。わからない人を相手にしている画廊の展覧会程、つまらないモノはありませんよ。」

その後、アライさんとは、若い作家さんへの手厳しい会話。(面白すぎるので省略)

アタシが文句を言われているような気になって参考になった。

オ「誰でもが、そんなにカンタンに手に入れられる世界でもないでしょう。(特に若い人にはムリ)だから、(精進して手に入れた作家さんの作品が高値で売買されるんじゃないですか。」し

そんな話をして、デッサン会に流れていく。

頑張った人だけが手に入れられる世界があるということである。