◆◆◆ 501 ★ 清家清、さくらもも子展 ◆◆◆

2005.9.14

新橋から銀座に流れる途中で、松下の汐留ギャラリーで、清家清の建築の展覧会をやっていたことを思い出す。

もう、新橋には当分行かない予定なので、今日回ることに決める。

一階の受付けで、パンフレットをくれたのだが、100円の割引券がついていてお得だった。

入場料400円で、これから、家を改築しようという人たちが来客(松下のショールームの上にある)なのでギャラリーは結構な人の入りだった。

2つある映像コーナーは、いつでも席が満杯だし、実物大で作られた「私の家」の模型には、ひっきりなしに人が入っては、猫のようにくまなく点検を繰り返すのだった。

彼は、画家になろうと思ったのだけれど、父親にもう反対されて、建築科に進んだのだそうだ。

建築だって、芸術作品に違いない。

その後、松坂屋では、丸木マスさんの展覧会が無料と書いてあるので、冷やかすことにする。

丸木俊さんのお母さんなのだそうだ。

74歳から絵を描き始め、最後は院友にまでなったのだそう。

院友ねぇ。

おおらかでのびのびとした、良い絵だった。

これが無料だなんて、お得だわぁ。

明日からは、別館で、新塊樹展なる展覧会があるらしい。大島一宏さんの所属している美術団体である。

一回見たいよなあ。

それから、さくらもも子展に流れる。

ホントは、勘三郎の展覧会にも行く予定だったんだけど、時間切れ。

さくらもも子、20周年。

高校生の時にデビューしたわけだからね。アタシと同じくらいだと思う。

立派な画業である。

大量に展示してある漫画の表紙の絵は、どの絵も心が行き届いていた。

忙しかったと思うけど、楽しんで作っていたというのが伝わってくる。

彼女は、一番初めのデビュー作で、自分の漫画がナンて汚いんだろうと思い知ったのだそうだ。

今までは全く気づかなかったのに、漫画になり、他のセンセイ方と並んだときに、その差に愕然としたのだそうだ。

本物の作家さんは、自分の作品と、金になっている作品の差に気づくだけでなく、そこまで、力をアップさせられるという実例みたいなもんである。

彼女は、ちびまるこちゃんがテレビ化されたあと、雑誌やテレビの依頼もバンバン来たのだそうだが、全部断って、自分の作品作りに集中したのだそうだ。

「作品を通して自分を知ってもらう」というのが一番だからだそうだ。

作家なのだから、そういうものだと思う。

それにしたって、脚本まで書いていたとは知らなかったぜ。子供もいて、毎日寝る時間もものすごく短い中、どんどんと作品を作り続けた20年であった。

彼女は、シュルツさんに会いに行ったのだそうだ。シュルツさんとは、スヌーピーを描いた世界的な漫画家である。

「シュルツさんは、朝6時に犬とサンポに出て、9時まで近くのカフェでのんびりと過ごし、9時から3時ごろまで仕事をして、その後は、家でのんびりとする。

という毎日を送っている」

という話を本人から聞き、アタシは、なんとあわただしい生活をしてきたんだろうと、自分の仕事詰めの人生を振り返ったと書いていた。

そうして、アニメの脚本は、自分でやらないことにしたのだそうだ。

本業がいるからね。

それでも、脚本を自分で書いたことは、勉強になったとも書いていた。

スゲー。