◆◆◆ 484 ★ アーティスティックマーケットの打ち合わせ ◆◆◆

2005.9.2

今日は、ボランティア講師によるワークショップの段取りなんかを打ち合わせることになる。

ぬいぐるみ作家のミスミさんと、この会の代表であるYさんの3人(近くて、しかも時間が取れるという感じ)。

いつもは、Yさんの所の会議室で行われるのだが、今日は、アトリエで打ち合わせすることに。

(アタシは、かろうじて、3人が座れるスペースを作らなければならなかった。)

理由は、看板描きなどの材料を運ぶ時に、あとりえの場所が解っていると便利だからである。

そんなこんなで、会場の設営や、ワークショップの内容について、意見を出し合い、準備するものなどをまとめてゆく。

「無料のイベントだったら、画材会社なんかの、協賛取れると思うんですけどねー。」

というような、アタシが過去に経験した、イベント売り込みや企業とのタイアップの話なんかもする。

10万人も来るらしいからね。

10万人?

人が集まれば、金も集まるという世の中である。

アタシは、絵手紙の講師をする予定なのだが、もし、絵手紙講師が他に見つかれば、自分は、手書き缶バッチの講師をやってもよいと申し出る。

両方はムリなのよ。

そうして、あとりえで、手書き缶バッチなる品を目の前で作り上げる。

推定3分程度で出来上がったその品に、Yさんは物凄く感激し、「この程度なら、ウチのスタッフにやらせることができると思いますから、オジャラさんは、絵手紙の方お願いします。子供がきっと喜びますよ。」

などという話になる。

アタシはさー、できれば、ライブペインティングなどのパフォーマンスをしたいので、誰か、絵手紙の講師をやってくれる人がいないかなあと思ってはいるんだよね。

絵手紙で一番問題なのは、継続して習いたいという人をアタシが受け入れていないということである。

絵手紙教室かぁ。

絶対にやりたい講師の人いると思うんだけどねー。

そのまま、自分の所の生徒さんになる人だってでてくるかもしれないからなあ。

まあいいか。今回はアタシがやるか。

THEは要らなかったかもなあ。

まあいいか。

この程度の文法の間違いを、白人さんたちはあまり気にしない。

何故なら、彼らは日本語を習得するのに、物凄い苦労をしていて、メチャクチャな日本語を使っているということを知っているからである。

そういえば、個展を見に来た人などから、絵は教えないのかという質問をされるよなあ。

美大卒でもないアタシの所に、絵を習いたいという人が来るとも思えないんだけどね。

そういうことを聞く人は、大体はママであり、子供はまだ歩けないという場合すらある。

「そうねー。絵っていうのはさー、子供は、紙とクレヨンなんかがあれば、勝手に描くものだからねえ。どんどん、描かせてあげれば、習う必要ないと思うよ。英語にしておきなさいよ。絵じゃ食べられないよ」

などというと、皆さん、おおいに納得し、「習わせるなら英語にしよう」という決意を固めるのであった。

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そういえば、ワガママさんと、電話で話した時に、「変な絵じゃなくて、昔のイラストみたいなのを描け」と言って下さったけどなあ。

たぶん、この、左のヤツみたいなのは、「変な絵」に当たり、ダメってことなんだろう。汗。

カワイイと思うけどなあ。

外国系のエージェント登録を目指して作品を作っているので、今後は、こういうのも作ると思う。

ハイビスカスの花ばかり描いているワケにもゆかない。

この程度の絵なら、何百枚でも描ける気がしてきたぜ。

あれだよなあ。この作品は、額縁屋のオヤジからもらったバラ模様のポストカードの裏に描いているからなあ。売るのはムリだよねー。

たははは。

残念っ。

というように、辺りにある紙に、手当たり次第に描いている。(とはいえ、紙は選んでいる。バラのポストカードは、物凄くイイ紙に印刷されていて、カラーインクのインクのにじみの鍛錬には丁度イイのである。)

どちらかといえば、カラーインクの習作なので、売る目的で描いたワケでもないしなあ。

もう、失敗しなくなってきているってことなんだと思う。

この紙はまだ20枚程度あるので、あと3篇位は作って、売り込み用にまわし、販売しないでキープということにしよう。

大きい額に入れてまとめて展示すると、結構見栄えがするし、それなりに見た人もほのぼのとできるのである。

ピカソなんかでも、イロイロな紙(コースターや手紙の切れ端)に絵を描いていたみたいだし、そういうモノも売買されているみたいだから、あまり気にすることもないのかもしれないけど、アタシが気にならなくても、買うほうは不安になるよねー。

ピカソが、「それが、どんな作品であっても、完成していても、未完でも、どんな紙に描かれていたとしても、僕の作品であることに間違いはないんだよ」

と話していた記事のことを思い出す。

それは、絵がピカソの絵だからだよねぇ。

日本の人は、そういうワケにはいかないということである。