◆◆◆ 434 ★ フィリップスコレクション・与謝野晶子・ジャンコクトー ◆◆◆
2005.7.21 |
今日は、夕方予定がある(と思い込んでいて)展覧会の巡回。 まず、六ヒルのフィリップコレクション展へ。 巨大ルノアールが客寄せパンダである。 バーンズコレクションよりはかなり落ちる。 金さえあれば、誰だって集められるぜ。 そうして、ルノアールも、他の印象派にも、かなり飽きている自分に気がついてくる。 まあ、名画だし、アメリカまで行くよりは安いんで、今後もチケットが少し安く手に入れば、見に行くとは思う。 人間というのは、飽きっぽい。 ピカソのコレクション3点はセンスが感じられた。 ゴーギャンの絵の一点も悪くなかった。 これが芸術の価値だなどといい、絵の価格を勝手に釣り上げる金持ちがいると、市場は混乱する。 そうして、絵というのが、庶民から離れていったのである。 アナタは知らないだろうが、アタシは知っている。 スペインの小さいホームステイ先の家であっても、壁という壁に、ご先祖の肖像画やら、名画の複製油彩やら、若い人の前衛的作品など、そういうのがビッシリと展示してあるのである。 どの絵だって、手に届かない値段ではなかったということである。 絵の一枚も無い日本の家というのは、(あっても複製画のオフセット印刷を信じられない高値で買わされている)文化レベルが低いことの象徴である。 |
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もう一度戻って見直す気にもなれず、与謝野晶子展へ。 想像通り、文学系の展覧会というのは地味である。 主な展示作品は、晶子の書である。 それだけは大量にあるのだが、アタシには読めなかった。 正確には、読める字もある。 そんなに難しい書ではないが、読む気にはなれない。 アタシ程、彼女のファンじゃない人が足を運んでいるのは珍しいだろう。 晶子の歌集などの初版本が並び、時代が感じられた。 多くの書は軸になっており、伸び縮みがする。 略奪愛のカリスマ、その激しい人生や、どう読んでもエロエロな短歌の解りやすさ。 しかも、大量に作れたんだし、金にしていたんだから、その点はスゴイよなあ。 短歌は、俳句とは違い露骨・直接表現も可というところである。 嫌まあ、(短歌も俳句も)行き着く先は同じと、アタシは教えていただいたことがある。レベルが進んでくれば、短歌であっても直接的な表現は避けるようになるということのようだ。まあそうなんだろう。 話題になった歌人の作品がそうとは限らないということだ。(というか、読んでないから、その辺、よく解らないっす。説明ないと意味解らないので、アタシには解読はムリ) 放哉よりも、山頭火の方が、人気があるのは俳句が直接的で解りやすいからに他ならない。 まあいいかぁ。とりあえず、彼女は、手書きで、自分の短歌を高級紙に書いて販売して生計を立てていたという事実を目の当たりにできた。 歌人とは、そういう存在でなければならない。(ファンの人が肉筆の短冊を金を出して買うという域という意味) |
何故か野菜を撮影するオット。 謎だぜ。 |
次に、日本橋ミツコシで開かれている、ジャンコクトー展に足を運ぶ。 彼の絵は、ピカソの絵にとても類似していると思う。 まあ、そこに目をつぶれば、悪くない展覧会だった。 最初に驚いたのは、中に入ったときの、展示の数である。 入り口からこんなに詰まって設営されているということは、奥までビッシリということで、ミツコシでは珍しい。 そうして、知名度のせいか、大観とか浮世絵などと比較すると、ガラガラ。 彼は、自画像のドローイングを何枚も残している。美しい線で描画された素描群には満足であった。絵を大量に描いた人にしか手に入れられない安定感というのがある。 今回の展覧会は、一人の収集家のコレクションが中心になっている。 コレクターには2つの種類がある。 フィリップモリスのように、有名どころの名画(→全てが名画ってワケじゃないんだけどさ、)を金に糸目をつけずに買うタイプの収集。 もう一つは、今回のように、一人の画家の作品を徹底的に収集するという、作家に特化した収集。 アタシの場合はといえば、その両方で、一つは、「美少女系ヌードの銅版画」 もう一つは、作田富幸先生個人の作品の収集。 という感じになっている。 アナタも何かを集めはじめると、コンセプトというのが必要だということに気づくと思う。 テーマに筋が通っていると、集めるのは楽チンなのだ。アタシの場合、ヌードということがあり、(あまり日本では売れないという理由で、)売ってないから助かるぜ。 絵を買う人の気持ちが解らなければ、絵を売ることなどできないのである。 |
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コクトーは、物凄い沢山の友達に囲まれて、映像表現も含む、あらゆる活動をしていたと書かれている。 映像というのは、平面よりもぐっと伝えたいことを凝縮できるのである。 レオノールもムービーをいくつか残している。 電子本と同じように、そういうのも作るかなあ。 コクトーの作品は、神話をテーマにした作品が多く、この前見た、ドイツなんかの版画や絵画に共通する安心感みたいなのがあるんだと思う。 それは、日本人が仏像や浮世絵を見ると安心するのと同じというムード。 彼は、「神話からインスピレーションを得てこの作品を作った」などと話しているが、アタシ的表現では、「知名度便乗型絵画制作」 ということになる。 まあいい。人間の才能というのは、その程度であり、そういう生活の中のモチーフを上手く自分の作品に取り入れた人は、一気に知名度を上げられるという構造は理解できてきた。 ショップには、ヤマモトヨーコの版画が売られている。???? 「ジャンコクトーの肖像画かぁ。しかも3枚」 という風に、さりげなく出てくるのが彼女らしい。 ジャンコクトーの筋の人は、山本容子の版画は買わないと思うけどなあ。 知名度便乗型の作品を多く手がけると、露出度がアップ。 肖像権違反じゃないのかなあ。ギリギリってとこだと思うけどなあ。 |