◆◆◆ 432 ★ プチテラス・銅版画教室 ◆◆◆

2005.7.18

いよいよ、プチテラスに行くことにする。

「はるかぜ」というバスに乗り、河原町で降りる。

おおっ。こんな所にあるんだ。

どうりで知らないワケだよねえ。

歩けない場所ではない。

そんでもって、予想通り客は誰もいない。

中では絵本の挿絵なんかやっている。

名前かぁ。Sakikoさんとしか描いてないけどなあ。

カワイイ人である。

オジャラは、お茶を出せなどとワガママを言い、緑茶を入れていただく。

彼女は、絵本の挿絵なんかを作っていて、今回はその原画展という感じ。

自宅の理容室が休業の日、そこで原画の販売もするのだそうだ。

あとりえおじゃらよりは、場所はイイもんなあ。

駅からは大分遠いかなあ。

丁寧に描かれた水彩画は、どれも小さいのだが、絵の上手さや良さが伝わってくる。

まだ若いし、いくつも手がけているみたいだし、自分の創作絵本も執筆中なのだそうだ。

絵本かぁ。

作れる気がしないけどなあ。

妹さんの作品集というのも置いてあって、こちらも物凄く上手い。

イラストレーターへの道は遠い。

まだ、このレベルとは戦えない。

その後、駅まで歩いて銅版画教室へ。

大幅に遅刻。

今日は、新作にチャレンジ。

前回の、南佳子風は引き続き作成。

新作は、アダムとイブの絵と、泉の絵。

ドローイングの成果を試すという感じで、銅版に絵を描画してゆく。

お教室では、「個展に美大卒の先輩方が訪ねてくださって、プレートマークが汚いと指摘された。」などと話すと全員が爆笑。

理由は、アタシは、いつも人のプレートマークにケチをつけているからである。

オジャラよ。まずアンタがプレートマークをキレイに拭き取れよ。みたいなね。

売れる作品は(数点しかないので)、真剣に刷りまして袋詰めしよう。

文房堂は明日まで夏のバーゲン。

今日は、腐食液と、ドーサを買う。

木版リト用の、下塗り液である。

お店の人は、粒ニカワと、クロームミョウバンの代わりに、白い安ミョウバンを勧めてくれたが、「楽して版画を作るというコンセプトがあるので、キッパリ市販のドーサを使って試すことにします」

などと店員さんに告げ、店員さんも、「ドーサでカゼインの代用ができるんですね」などと興味深げだった。

楽して版画を作る情報の伝達は、24時間以内に、速やかに引き継がれている。

サキコさんとは絵本の印税なんかの話もしたんだけど、余りきちんと理解できていないムードだった。

まあ若いから仕方ないか。

自分の作品の権利の話なんだからね、シッカリ勉強しないとダメだよ。

どんな本だって、そんなに刷りましたりはしないし、物凄く安く、結構時間のかかった絵を作らされているという気がしないでもないが、それでも、本にならないよりはマシということのようだ。

そうやってチャンスを掴んで有名になれる場合もあれば、次を作れなければ、結局他の人に仕事は流れてしまう。

まあ、仕事とか、才能とかいうのは、そういうものかもしれない。

彼女は、ナカナカお話の創作が進まないというので、外国に行くと一発で書けると教えてあげたのだが、予算的にムリなのだそうだ。

バイトだからだよなあ。

正社員だと、今度は、絵を描く時間がなくなるしね。

そんじゃ、ブログとHPの日記を頑張れば、文の力はつくようになるからね。みたいな話をしてあげる。アタシの場合、実際、HP作りというのは、自分の文才を伸ばすために続けているというだけなのだ。

最初の一冊や二冊、誰にだって作れるものである。10冊、20冊となると、それは、普通の才能ではないということである。

新しい筋を作り続けられた人で、しかも、売れる絵本を描いた人だけが有名になれるということのようだ。

オジャラよ、本を18冊も出版していて、収入が皆無というのは、道楽だぜ。たははは。

自分で電子本を作って出版する本なんかを無料で配布したりするから、仕事が来ないんだろみたいなね。

まあ、アタシ位だとね、(年齢的に金があると思われて)自費を勧められちゃうんだよね。

出版界も大変なの。

でもね、本の内容が本当に面白ければ、彼らだって考え直すだろう。

売れる本を書ける作家を、彼らは、ネットの中でグルグルと探し回っているのである。

銅版画教室の後、皆でお茶に行く。

アタシがドローイングとか水彩画を3000円で売っていると話すと、Wさんが、「時間の問題じゃないでしょう」などと言い怒り出す。

「でも、5分で描けるし、一枚売れると、水彩紙60枚も買えるから、アタシは別に構わないんだよね。7000枚売れると、2100万円になって、半分でも売れると、1000万円だしね。採算合ってるよ」

などと話すが、「作成時間じゃないんだよねーっ」

などと粘る。

オジャラ「んじゃ、何なの?」

W「・・・・・」

オジャラ「アタシ、絵手紙から入ってるからさー、作品の構成能力とか完成度に関する勉強が不足していて、絵が紙の中心にドーンと来ちゃっててさー、なんだか、完成度が著しく低いんだよ。」

という説明をする。

W「あー、絵手紙、、、、って珍しくないっすか?」

オジャラ「だって、趣味の人だったんだから、仕方ないじゃん。絵手紙なんて、タダで配るもんだよ」

W「・・・・・。あれ、絵手紙って、どーしてみんな、おんなじ絵なんっすか?」

オジャラ「下手な人がムリなく始められるように設計されていて、お手本みたいのがあるんだよね。どんなに下手な絵でも、ポストに入っていると嬉しいもんだよ。絵を描いている時間は、楽しいしね。あれはあれで、アタシはアリだと思う。」

W「そうでしょうねぇ。でも、3000円はダメです。キッパリ」

みたいな会話。

いくらならイイんだよっ。

太洋さんは、水彩画とか、クレヨンの絵は販売しないと話されていた。

油彩が売れなくなるからね。

それでも、描画の練習は続けなければならない。売れても、売れなくても、例えば、売らないにしてもである。

アタシには、描きたい絵があるのである。

描画の力と、構成力をまず身につけ、その後に完成度を上げてゆく。

まあ、そういう段取りになると思う。

いきなり完成度を上げるというのは、絵が下手な段階ではムリなのだ。

まず、一個一個、失敗しないように、集中してメインの裸婦や、大道芸人を描けるようになる。

画面に動きを加える。

まだ、その練習の段階だからなあ。

アタシはWさんのように、絵が上手くて、この道に入ったというのではないということだ。

Wさん、絵本はいつ完成するんっすかね?

というように、彼女のように博識で、面白い人でも、絵本はなかなか完成しないのである。