◆◆◆ 431 ★ 片岡球子の図録を見る ◆◆◆

2005.7.17

皆さんが帰った後は、あとりえは静まり、散らかった版画のノートや、ビニール、グラスなどを片付ける。

そんでもって、誰か来るまで、しばらくの間、バッヂ用の小さい絵を描く。

手書きのバッヂはカワイイのである。

あっという間に25枚ができあがる。

今度色塗りしないとなあ。

バッヂの絵も枚数に入れてやるぜ。

みたいなね。

ポスターの数も記録しておかないとなあ。

看板の数も入れよう。

みたいに、毎日増殖するアート作品を数えるという作業に必死になる。

自分との戦いだ。

ちょっと休もうと思って、片岡球子の図録を開く。

もう、何日も見れないでいた図録である。

彼女の作品は、写真になっても素晴らしい。

三岸節子の比ではない。

作品の幅も、花と静物、風景中心の三岸と比較すると、人物、火山、富士山、花など、多彩である。

彼女は、イロイロな人に助言を受けている。

たとえば、横山大観に、酒の席に呼ばれ、飲めない酒を、「酒を飲むと絵が上手くなる」などと言われ一杯飲まされる。

そうして、大観は、お猪口をピーンと鳴らし、「この音を表現できないと、画家にはなれない」

と教えてくれたらしい。

この話ははじめて聞く。

これも、瞬間表現の一種なんだと思う。球子は素直に受け入れ、どうしたらそれが表現できるのかをいつも考えて絵を作っていたんだと思う。あの図録はオトクだったよ。

彼女は才能を認められ、歌舞伎などの絵を描くため、他の画家の先生についていき、一緒に絵を描かせてもらったりもしている。動きを手に入れるためである。

日本画の人は、歌舞伎も一日貸しきりだぜ。

小林古径には、「この絵は、アタシが見てもゲテモノだが、自分の絵を描き続けるように、そうすれば、薄皮を剥がすように、自分の絵が出てくるから、諦めずに続けなさい」と教えてくれたのだそうだ。

そうして、そのあと、どんどんと自分の絵を描くようになったと話していた。

彼女が何故画家になろうと決意したのかという話も興味深い。

小学校の時から、ミンナの前で絵を描かされることが多かったのだという。

ある日、将来何になるのかという話をミンナでしているときに、「ワタシは女医になる」と決意を固めていた球子に対し、「そんなのつまらない。アナタは画家になれ」みたいな会話になり、そのとき、ビビーんと来たのだそうだ。

それ以来、何が何だか解らないで画家目指して頑張ったのだという。

小学生の時から画家を目指していたというのがスゴイぜ。

思い込みだけでは、画家にはなれない。彼女には才能もあったということだ。

もっとも最初の頃は、公募展では落選を繰り返したらしい。

三岸とはその辺が違う。

最初から、絵の賞などを取り、有名画家と結婚し、自らも女性の絵のグループを作り上げた三岸は、画家以外の才能もあったということである。

しかし、彼女に、瞬間表現や、人物を描くように勧めてくれた人はいなかったということだ。

三岸の花の絵には、全く心を動かされるし、物凄い力を感じるのだが、画家としてのスケールは、球子の方が上だと思う。

絵を売りながら、家族を支えなければならなかった三岸と、教師をしながら絵を描き続けた球子との経済的な事情もあるのだと思う。

金の心配がなければ、アタシも大きい絵をどんどんと描きたいのである。

夏の個展はこれで終わりです。

来てくださった方、行きたいと思ってくださったけど、予定が詰まっていて来れなかった方、遠いので、陰ながら応援してくださった皆様、作品を買ってくださったお客様。HPは、死ぬほど見たという新しく流れて来てくださった方。

どうもありがとうございました。

普段は、絵を大量に描くということもあり、散らかっていますが、それでもよろしければ、近くまで来るというついでに、ぜひお立ち寄りください。

前々日ぐらいにメールでご連絡を頂ければ、調整できることが多いです。来ていただく日は土・日でも結構です。

2000円の作品が一枚売れると、新しいSMの水彩紙が60枚買えるのです。

出来の悪い絵は、裏にも絵を描きます。

私に絵の才があるのかどうかはまだ解りませんが、描き進んだ者だけが手に入れられる世界というのが必ずあると信じて、また一枚描こうと思います。

どうぞ、応援、よろしくお願いします。