◆◆◆ 427 ★ 重大な話 ◆◆◆

2005.7.16

彼女とは、もう一つ、重大な話をする。

それは、絵の値段は下がらないという話である。

オジャラ「センセイがね、作品の値段というのは、一旦つけたら、値上がりしてゆくのは構わないんですけどね、下げたりしてはいけないものなんですよ」という話を聞いたことがあるという話をする。お客様が、不安になるからだろうねぇ。

彼女「芸術ですから、そーいうもんかもしれませんねえ。」

オジャラ「でも、絵の値段が上がり続けると、誰も買う人いなくなっちゃって、いくらイイ作品が作れても、結局画家はビンボーってことっすよね」

彼女「確かに」

オジャラ「これが、3000万です。と言い張られて、あー、そーなんですかぁ。で終わりっす。でも、10万ならどーしよーかと考えて、3万円なら心が動くかもしれないじゃないですか?」

彼女「うんうん。買えないものは、ゼッタイに買えない」

オジャラ、「原価3万円程度の品を、1000万円で売ろうというところにムリがあるんっすよね。だいたい、アタシの、商学理論の常識だと、売れ残り品は、値下げ処分ってことに決まってるんです。古い品物は現金化して、新しい商品を仕入れる。それが、商売というものです。」

爆笑。

値段を下げれば買いたいという人がいて、こちらだって、70%入ってくれば、また絵の具が大量に買えて、絵が続けられるんだからねえ。

美術界の人と、商業界の人との常識が違うんだよねー。

しかーし、商業界の理論というのは、モノを売るための正しい認識なのだ。

アート界だけ、逸脱しているから、みんな売れないで、画家はビンボー。だからバイトする。だから趣味の人なのか。なるほどねえ。

絵で成功するには、商才も必要ということである。

彼女は、やはり、インテリアとか、趣向系の情報を大量に持っている方で、ハイセンスなので、アート系のことにも、イロイロ興味があるみたい。

そういう方が、「芸術の値段というのは、そこまでの技術を身につけるまでの苦労の値段込み」

というのはね、まあ、理解できる。

オジャラ、「あれだよねーっ、確かに、努力したというのは解るけどさー、だから、誰の絵でも、苦労した人の絵が1000万円で売れるというのとは違うよねーっ。」

Hさん、「うんうん」

みたいな世界なワケよ。

絵が1000万円で売れる人というのは、ほんの一握りである。

画壇入賞なんかで、絵の値段の指標とされる額が決まっていると言われていて、そうすると、号いくら。100号だから1000万円です。みたいなね。

作家さんによっては、そんなにいらないから、500万円でもいいです。みたいな話で、誰かに売ったとして、実際には、市場の流通価値はゼロで、評価額は150万円でした。みたいな話は、テレビで見たことある。

それは、買ったほうにしてみれば、詐欺みたいな話だろう。

1000万円の価値があるけど、500万円でイイワ、といわれ、実際は150万円なんだからねえ。

しかも、借金のカタとかでもないわけよ。

何が起こっているのかといえば、「自分の作品の値段に対する、過剰な価格設定」ということに他ならない。

アータね、文化勲章作家と、アナタの絵の値段が、同じで売れるはずがない。

画家の勘違いということである。

これは、画家の問題ではなく、画家や、お客様さえもそう信じさせている、アート界の構造的な問題である。

画廊の手数料というのは、売値の何パーセントという話でね、まあ、価値の無い作品を高値で売れば、その分見入りは増えるということになる。

ウチの父などは、ミツコシで展覧会をやればゲージツだと信じている。価値観というのは、先入観に司られている。

彼女は、壁一面に展示されたアタシのコレクションを見る。

オジャラ。「アタシの作品とは、大きな差があるでしょう。アタシには、解っているのよね。あそこまで行かないと、絵では食えないというのは。」

Hさん「うん。」

オジヤラ「遠い所にあるわ。」

でもまあ、自分の作品との差を受け入れ、もっと良い作品を作ることを忘れないという意味では、悪くないと思う。目指すべき場所は、明確だし、自分の力の無さもその前にぶらさがっている。

松涛美術館の展覧会は、メインは、芸術家の作品を展示するけど、二階のコーナーでは、その人のコレクションなんかを展示してくれて、それがまた、嬉しいのである。

ああ、やっぱり、イロイロ集めちゃうんだよねー。みたいな。アーティストの方と交換したりもすると思う。

交流は自然にできてきて、お互いに無い部分は刺激とし、新しい技法や、画材の情報の交換もできるからである。

アタシには、理解できている。アタシと同じ画材を使ったからといって、アタシと同じように描けるというものでもない。

三崎さんなら三崎さん、ケンタリさんなら、ケンタリさんの絵となってゆく。

新しい画材を使う瞬間は、それは楽しいひと時なのである。

彼女は、猫のペン画を買うと申し出てくださり、アタシは、「別に、ムリに買う必要は無いんですよ」というが、

やはり、買うと言ってくださるので、お売りすることにする。

そうして、彼女に予定日を尋ねると、「もう、予定日過ぎているんですけど、まだ出てこないんで、刺激を与えるためにウロウロしているんです。」

などというので、アタシは、ビックリしておまけを差し上げるのを忘れてしまう。汗。

そんでもって、玄関にあった猫の銅版画を見て、心が惹かれていたので、交換してもいいっすよ。

というと、こちらも買うという。

恐るべし。

猫の人は、猫しか買わない。

そうして、玄関先で、バタバタしていて、やっぱりおまけのことは思い出さなかった。

産まれたら取りに来てくださいと、ハガキでも出そう。

おまけはおまけで、また大量に絵を見なくてはならなくて、それは気絶しそうなんだよね。たはは。

彼女は、「楽しみにしています。頑張ってください」と言い、ボテボテと帰って行った。心が励まされる。

良い子が産まれますように。私も、陰ながら応援しています。