◆◆◆ 426 ★ 金曜日、土曜日 ◆◆◆

2005.7.15

三崎さんが帰られた後、銅版画教室のSさんが来てくださった。

遠いところ、ありがとうございます。

彼女は、てんぺら画とか、額縁なども作る方で、最近は、ガラス絵を習い始めたと言って、作品を持ってきてくださる。

うっ、うさぎ・・・・。(いつものヤツです。汗。→お教室の方は、これでどなたか解ったことでしょう)

相変わらず、スゴイキャラだね。

やっぱ、絵には個性が大切だなどという話で盛り上がっていると、額縁屋のオヤジが、(夜飲みにいくらしく、その前に)寄ってくれた。

そんでもって、額縁作り45度が上手くカットできないという愚痴になり、今度は、実演講習会になってしまう。

この、45度がぁ、、、などといい、個展の最中だといいながら、あとりえは、ノコギリ、垂木、定規などが散乱。

オジャラの運命は、巻き込まれ型である。

変な人しか来ないぜ。

そうして、土曜日になり、ケンタリさんが、汗ダクでやってきた。

また道に迷ってしまったのだそうだ。

ケンタリさんは、毎回道に迷ってしまうのだ。

今日は、杖をついてお越しで、ご無理をされなくてもいいのにという気持ちでイッパイになった。

ケンタリさんは、電車の中や、バスの中で、小さいスケッチブックにいくつも絵を描いていて、そういうのを拝見する。

スケッチというのは、メモ書きみたいなものなので、そういうのを再構成して、もう少し大きい紙に描いて、展示できるような作品を作ってみたらどうっすかね?などという話をする。

ケンタリさんは、最近は、写真撮影の会に入り、ソウウンにも入ったらしい。

そっ、ソウウンって、どーやったら入れるんっすか?

などと聞くと、これこれこういうワケだという話。

そーなんだぁ。

ご高齢なのに、精力的にご活躍で、気絶しそうになるぜ。

そんでもって、昨日から作っている書を見せびらかす。

私的には、なかなかヨクできたと思ってるんだけど、書とみなされるかどうかは、アタシが決めることではない。

これくらいの作品にならないと、ギンザでは展覧会はできないぜ。

希望的には、もう少し大きい紙に描きたい。

誰か買ってくれ。

2枚売れると大きい紙が100枚くらい買えるんで、どなたかヨロシクね。

みたいな。

いくらで売るかなあ。

というように、画家の悩みは尽きることが無い。

そんでもって、ケンタリさんが、どーやって描いているのか見たいというので、こんどは書の実演に。

(机の上には、書道道具が既に散乱していたのよね。おほほほ。)

「おおっ。そーやって描くなんて、思いもよらなかったです。早速家で試してみます。」

などと言い、ホクホクして帰ってゆく。

ケンタリさん、ご心配、いつもありがとうございます。

そのあと、ご近所で、ポスターを見て、HPも見たという、ショーケースなどのディスプレイの仕事をされていた方が見える。

彼女とは、絵の話で盛り上がる。

オジャラ「絵の値段って、イマイチ解りにくいっすよね}

Hさん「昔、田舎に住んでいたときに、風景を描いている画家に会ったんです。彼は、この風景は30分で描けるけど、だから安くてもイイということではない。ここまで技術を上げるのに何年もかかり、(その間収入が低かったのだから)、今の作品の値段が高くても当然だ。と話してくれて、私も、そういうものかなあと思ったんです。」

オジャラ、「アタシも、有名な画家さんの展覧会で、その話を聞いたことがあります。でもさ、その人文化勲章クラスだからねえ。勝手に自分の絵の技術を上げたからって、評価してくれる人が誰もいないんじゃ、その絵の価値は、ゼロっすよ」

みたいな会話。

絵の値段は、自分で決めるモノではないということである。