◆◆◆ 422 ★ ルーブル美術館・レオノールフィニ、あいだ雄亮 ◆◆◆
2005.7.12 この絵は、描いたアタシも、どこが上だか解らなかった。かろうじてサインで思い出す。 はぁ。ヤバ。 |
アタシはね、ただ美術館に行っているというワケではない。 その美術館の入りや、作品の大きさ、伸縮性、扱い作品の質なんかもチェックしている。 大きい絵の行方は、美術館しかない。 テレビ番組で、「美術館は、絵の墓場だ」と言っているヒトもいた。 絵の墓場かぁ。 捨てられるよりはマシかもなあ。 |
|
ということで、行って来ました、ルーブル美術館。 うわっ。15分待ち。 しかも、オヤジのハゲアタマしか見えない状態。巨大絵画は、なんとか遠くから見れたけどね。もっと早く来るべきだったよなあ。 とりあえず、図録をゲットして、あとでゆっくり見ることにする。神話をモチーフにした作品というのも、実は、便乗型アートなんだよね。 西洋の人って、そういうのよく描くでしょ。宗教的な話もあるんだろうけど、(人間のヌードはいやらしいけど、)神様のヌードなら、フルでもオッケーという社会観みたい。 だから、裸婦の絵なんかを、家に飾ったりするのの抵抗があんまりないんだよね。 日本だと、やっぱ、裸婦は家に飾れないという常識とか、抵抗感があるわけね。 文化的な相違だと思う。 アタシも、日本でヌードが売れると思って描いているということでもない。 最近、クロッキーは、全部ガラスペンなんで、裸婦の絵が増えているというだけである。 |
|
そのあと、渋谷の松涛美術館へ。 あいだ雄亮さんという陶芸家の展覧会。 最近立体に入ろうと思っているので、陶芸の展覧会にも足を運ぶことにした。(というか、ついで) 美術館で展覧会をやるほどの人の作品というのは、理由があるからである。 作品点数がまとまって借り出すことができて、大きい作品があるということに他ならない。 その作品の大きさが、どの程度なのかとか、何点くらいあるのか、伸縮性があるのかということを見ているのである。 棟方志功の版画や芹沢啓介の型染めの作品の多くは、屏風になっていて、広げると、かなりの大きさになるのだが、小さいスペースに収納できるように工夫されていた。 痕跡展とか、榎倉さんの展覧会では、カンバスにハトメがつけられていて、天井から吊るされている作品があった。 収納するときには、丸めて、コンパクトに保管できる作品なのだ。 |
これは、レオノールが描いていたスフゥインクスのパクリ絵。 格調高さ不足。残念っ。 |
最後にレオノールフィニ展に行く。 こちらは、ガラガラ。ゆっくりと見れて堪能できた。これからルーブルに行こうとしている方は、文化村に切り替え、ゆっくりと見るほうをオススメします。 まあ、テイスト、少し違うんだけどね。 少しというかさ、だいぶというか。ヌードはヌードだけど。シュール系の画家さんでね。 名画よりもヨッポド面白い。 シュールというのも、イマイチ理解してないんだけどね。気にしていれば、そのうちにわかる日も来るかもしれない。 とくに気になったのが仮面。 彼女は物凄い美人で、自分がデザインして作らせた衣装なんかを着て、ポートレート集を何冊も出しているらしい。 衣装も中世のイカレタ階級の人たちが、ランチキ騒ぎをしていたムードが漂い、魅力があった。やっぱ、女流画家だからね。 衣装・ファッションっていうのは、すんなりと入って来るんだと思う。 |